今は女性が見てきた地獄に付き合ってほしい

 当然だが、その仕事は私をさらに苛烈に追い詰めることになった。今まで以上に人に見た目をあれこれ言われ、しかもそれが「好きで人前に出ているのだから何を言われても仕方がない」という容赦ない空気の中で行われた。心底おじさんになりたかった。同じことを言ったりやったりしても、私が若い女じゃなくておじさんだったら、ブスとかデカいとか生意気とか、言われずに済むだろうと思った。

 けれど「若くて多少は見た目のいい女子」であることによって、同年代の男性に比べて、はるかに優遇されたのも事実だった。同じ待遇で雇われているにもかかわらず、評価の基準は男女で全然違った。若いうちは断然、女が有利だった。ただ若い女であるというだけで。

 人は見た目で評価されるという恐怖に加えて、女は女であるというだけで生鮮品のように値がつけられることを知って、私はつくづく生きるのをやめたくなった。15年にも及んだ摂食障害はそうしたしんどさから逃れるための自傷行為だったし、その後の不安障害は、結婚して唯一の理解者だと思っていた夫がやはり女性の性をモノのように扱うことに抵抗のない人物だと知ったことがきっかけだった。女であることは、どうしてこうも絶望と隣り合わせなのか。

ビーチ沿いのカフェで一休み。こちらはオーストラリアのおしゃれなカフェで人気のオーガニック飲料、kombucha 。ヨーロッパではお茶ベースの発酵飲料をコンブチャというのだとか。こんぶは入っていないのに、日本人の私は脳がこんぶ茶変換してしまうため、出汁っぽいような気がします
ビーチ沿いのカフェで一休み。こちらはオーストラリアのおしゃれなカフェで人気のオーガニック飲料、kombucha 。ヨーロッパではお茶ベースの発酵飲料をコンブチャというのだとか。こんぶは入っていないのに、日本人の私は脳がこんぶ茶変換してしまうため、出汁っぽいような気がします

 で、はじめに戻る。もしもあなたの妻がここ最近急にセクハラに敏感になり、ちょっとした言葉の端々にも目くじらを立てるようになったのなら、影響されやすい女だなどと侮ってはいけない。この社会で女をやるということは、セクシズムやルッキズムやエイジズムにさらされ続けることであり、長年蓄積された悔しさがあるのだ。まして男性が多数派を占める職場で働いてきた女たちには、その価値観に適応せざるを得なかった「汚れちまったあたし」の負い目がある。幾重にも引き裂かれ、憎むべき価値観に同化することでしか生き残れなかった女たちの怨嗟が、今ようやく言葉を得て表出しようとしている

 ふとした一言にキッとなるときの妻は、あなたの発言に、過去に出会った男たちの片鱗を感じている。夫は、復讐のための憑座(よりまし)である。あのとき、あいつに言ってやりたかったことや、ずっとため込んできた思いをぶつけるために、妻はあなたに「男」を降ろしているのである。

 とんだ濡れ衣だよと思うかもしれない。実際難儀なことだろう。でも、話を聞いてみてほしい。彼女が見てきた風景を、今もその目に映っているこの世の有様を、あなたは知らない。もちろん男には男のつらさがあろう、それを軽んじるつもりは毛頭ない。だから、今は女性の見てきた地獄にじっくり付き合ってほしいのだ。

 そして想像してほしい。この社会で、女をやるってことの負荷の高さを。もしも娘がいるのなら、それを彼女にも強いたいだろうか? 答えがNOなら、今まで「そんなことくらい」「そういうものでしょ」で済まされてきた、女性への敬意を欠いたあしらいに対して「それはおかしい。もうやめよう」と、どうか一緒に言ってほしい。半径2メートルから、世界を変えることはできるのだから。