異常に見た目に敏感な環境

 母親のけんまくを前に事態を飲み込めずにいる次男に、彼女のどんなところが好きかを尋ねると、答えは「面白いところ」だった。見た目だってもちろん人を好きになるときの要素の一つだが、面白さに惹かれるのは脳みそに惹かれるということだから、息子にはぜひそちらの文脈で恋愛を語れる人になってほしいと思う。誰かの恋人を褒めるときにも「クラスで一番可愛いね」じゃない言い方をできるようになってほしい。

 以前この連載でも書いたが、女性でも自分の娘の見た目を貶めるようなことを言う人がいる。「うちの子ブスでしょ、だからうんと勉強させて自立させなきゃ」とか。そう言っている母親がどちらかと言うと美人の部類に入るときの凄まじさと言ったらない。そして「うちの子イケメンじゃないでしょ。だからうんと勉強させなきゃ」とは言わないのである。

 ある女性は、息子に「とにかくリレーの選手になりなさい」と異常なまでにプレッシャーをかけていた。理由を尋ねたら、足が速いとモテるし、自信につながるからと力説された。いや、息子に刻まれるのは「足が速くないと女性に認めてもらえない」という恐怖だろう

 人は何をもって評価されるのかという価値基準は、親との何気ない会話の中で刷り込まれる。今思えば、私の育った家庭の人々は異常に見た目に敏感であった。そしてそれはいつも私を怯えさせた。

 幼稚園の年少の時に描いた運動会の絵が上出来だったので、園の展覧会で母に見てもらうのを楽しみにしていた。園児がくす玉割りだったか玉入れだかをしているシーンを描いたもので、背景には応援している両親も描かれている。構図も細部もよく描けており、先生に褒められた。しかし母の第一声は「やだ、ママはこんなにクルクルパーマじゃないわよ」であった。そこじゃねえよ、という思いと、申し訳ないという思いで言葉もなかった。

 爾来40年あまり、母は一貫している。孫とのテレビ電話でも、画面に映った自分の容姿をやたら気にする。孫の話よりも、孫の服装や髪型に気を取られる。娘に対しても褒め言葉は大抵見た目のことだ。服が良かった髪型が良かったメイクが良かった……。逆もまた然り。そして割れ鍋に綴じ蓋と言おうか、父もまた外見にコメントすることが多い人である。成長期の子供にしつこく「どうしてそんなにひょろひょろ痩せているんだ」とか、思春期の娘に「随分腕にたくさん毛が生えているな」とか平気で言う。そしてやはり誰も気にしていないのに、自分の見てくれを卑下したり気にしたりが忙しい。姉もまた妹に対して「あんたは腿の間に隙間があるからモデルにはなれない」とか(私はなりたいとは一言も言っていない)、「顔が大きい」とか執拗に言い続ける人だった。

 多分彼らは皆、幼少期に容姿についてあれこれ言われることが多かったのではないかと思う。そして、内面についての賞賛を浴びた経験が少なかったのではないか。だから外見以外に人を評価する基準を持たなかったのだろう。

 母はいわゆる美人の部類であったが、それを理由にいじめられたと本人は語っていた。父は目鼻立ちが女の子のようだとからかわれたらしい。姉は見た目コンシャスな両親に育てられたのでそうならざるを得なかったのだろう。私はそんな3人の元に最後に生まれてきたものだから、頼んでもいないのに毎日のように見た目についてのコメントを浴びせられて育った。その結果、自意識過剰で人と接するのが怖くてたまらない子どもになった。そりゃそうだよ、気を抜くと何を言われるかわからないし、いつも大抵どこかがみっともないと笑われるに決まっているのだから。

 そういうものから自由になりたくて、高校時代は随分勉強した。でも私の学力とやる気は勉強だけで身を立てられるほど高くはなかった。ずるっと付属の大学に上がり、就職が見えてきたときに、当時王道だった「数年働いて寿退社」が自分に可能かを考えたら、稼ぎのいい男を奪い合う恋の野戦場で勝ち残れる自信がなかった。だから経済的に自立しようと考え、しかし成績は至って平凡で、90年代前半にそんな私が狙える総合職と言ったらマスコミ、しかも面接重視のアナウンサーしかなかった。見た目から逃れるために、見た目が選考基準の仕事を目指したのだから皮肉としか言いようがない。でもそうやって世間から「美人アナ」と認められたら、見た目を気にしなくても良くなるかもしれないと考えたのだ。なんとおめでたい子どもだったのだろう。