与えていると同時に子どもから奪っているものもある

 娘の一連の言動を見ていて、これは違うと妻のやり方に口を挟みました。

 「たくさんのおもちゃを与えることで、興味や力をもっともっと伸ばしてあげたい」というのが妻の考えでした。対して僕は、「娘から奪ってもいるんじゃないのか」と問いました。

 「いつでも欲しいものが買ってもらえるし、部屋は娘のものであふれている。ものを大切にすること、欲しいものがあってやっと買ってもらえる喜びを、今の彼女は一切得ていないかもしれない」と。方針を切り替え、娘のおもちゃを思い切って整理しました。

 「子どもにこうしてあげたほうがいい」とは、親が思い込んでいるだけなことも少なくありません。例えば、小学生のお子さんがいる家庭ならば、「子どもの勉強をもっと見てあげないと(子どものためにならない)」もそう。勉強を親が見てあげることで、子どもが犠牲を払うことだって考えられます

 僕は小学校高学年、中学生、高校生と塾に通い、勉強に多くの時間を費やしました。勉強は嫌いではなかったので苦ではありませんでしたが、父親が僕に常々かける言葉に鼻白んでいました。

 「一橋大学に入るんだぞ」

 ずっとこう言われていたんです。国内トップだから東大を目指せではなく、「一橋大」とは意味不明でしょう?

 父は、自分が一橋大に落ちて別の大学に行った経緯がありました。かなわなかった自分の望みを、長男にかなえさせようとしていたんです。学生ながらに、父はなんてダサいことを言うのだろうとガッカリしていました。父を尊敬する気持ちをそがないでくれよとも思っていました。

 子どもにとって何がいいのかは、ものすごく難しいことなんです。

 では反対に、子どもにとって一番の犠牲とは何でしょうか? 一番の犠牲は、親が楽しそうじゃないことです。

 「お父さんはなぜその仕事をしているの?」と、子どもが聞きました。「あなたのためだよ。あなたを育てるために、お父さんはやりたくない仕事をしているんだよ」。こんなふうに言われたら、子どもは最悪ですよ。呪いをかけているようなものです。