開成中学・高校から東京藝術大学へ。指揮者として活躍

 根本さんは、私立開成中学・高校に在学中、中学1年、2年と学年2位でありながらも上には上がいると悟り、自分の得意な音楽と語学を活かして、指揮者になることを決意。一浪して東京藝術大学の指揮科に合格し、修士課程を修了。現在は、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語をはじめ、スペイン語、オランダ語、ラテン語にいたるまで、あらゆる舞台作品の台本を原語でも読める存在として、新国立劇場を始めとするオペラ界の第一線で活躍しています。

 そんな根本さんがパソコンと出会ったのは、小学4年生のとき。それ以来、パソコンに夢中になり、知的好奇心が刺激され、現在の活躍につながったといいます。

 根本さんに、子ども時代からパソコンに親しんでいることの利点を伺いました。

小学4年生でパソコンに出合い、プログラミングをしたのが最初

── そもそもどんな風にパソコンと出会ったのでしょうか?

 小学4年生になってクラブ活動を選ぶときに、担任の先生が担当していたパソコンクラブに入部しました。ファミコンをやって育ったこともあり、パソコンに興味があったんです。学校にあった富士通初の8ビットパソコン「FM-8」を使って、BASICのプログラミングをしたのが最初です。それからすっかりはまってしまいました。

 中学受験をして私立開成中学に合格した時に、両親が入学祝いを買ってくれるというので、パソコンをお願いしたんです。ゲームがやりたかったというのと、5歳からピアノを習っていたこともあり、自分で作曲をした曲を世の中に発表したかったから。パソコンで楽譜を作り印刷できるDTMのソフトを使い、作曲した曲を中学1年生の文化祭で発表しました。

 中学3年生になると、秋葉原へパソコンの部品を買いに行き、自作でパソコンを作るようになりました。その頃には、入学祝いに買ってもらったPC98のほかに、DOS/V、中古のMacと複数台持っていました。パソコンでゲームを作るグループがあり、放課後は打ち込みでBGMを作ったり。DTPソフトのPageMakerで学級新聞も作っていました。自分で作り出すことができるのが楽しかったですね。WWWにふれたのもこの頃。自分で検索する楽しみを覚えました。

 高校1年生になり、将来のことを考えるようになりました。好きだった音楽で仕事をしようと思い、“かっこいいから”という理由で指揮者を目指すことを決意したんです。2回受験して落ちたら諦めると親と約束し、ストイックに勉強を続けました。その結果、一浪して東京藝術大学の指揮科に合格しました。この頃には、FrontPageでホームページを作れるようになっていましたね。

図書室の端から端まで読破。何でも自分で調べる癖がついた

── ご両親はどんな教育方針でしたか?

 両親は自由放任主義。警察のごやっかいにならなければ、何をしてもいいと言われて育ちました。

 小さい頃から父親に「これを読んでみろ」と言われるうちに、3~4歳でひらがなを読めるようになったんです。6歳で論語の白文(原文)の訓読をやらされ、小学校入学前に小学校で習う漢字は全部読めるようになりました。