カリスマ先生の翌年のクラスは荒れる 必要なのは“子どもが自ら選ぶ”授業

―― 岩瀬さんは22年間現場で関わっていたわけですが、どういうことに課題を感じて、どんな学校をつくりたいと思っていたのでしょうか。

岩瀬 本城さんが僕の授業を見てくれたころって、僕の実践もある意味良くなってきていたころなんです。若い頃は、やはりカリスマの先生になりたかったんですよね。話がすごく上手で、子どもがぐっと引き付けられて、あの先生の授業面白いって言われる授業を目指していました。実際、練習をしていくと、「あの先生の授業は面白い」ってある一定はできるようになっていくんですね。

岩瀬直樹さん。軽井沢風越学園設立準備財団副理事長
岩瀬直樹さん。軽井沢風越学園設立準備財団副理事長

―― 練習によって、「面白い授業」はできるようになるんですね。

岩瀬 はい。気持ちいいんですよ、僕も。「あの先生の授業はいい」と子どもたちは一生懸命になるし、保護者からも評判はよくなる。でも、そこで何が起きたかというと「次の年に担任が変わったら荒れる」ということが起きたんです。要は、次の担任はつまらない…と。

―― 衝撃です…スター先生の翌年はクラスが荒れる。確かにありますね。

岩瀬 「〇〇先生のときはあんなに面白かったのに超つまらなくなった」って、荒れるんです。一番ショックだったのが、ある学年を担任した後に別の学校に異動したのですが、挨拶の式に行ったら5月の時点で同じクラスがぐちゃぐちゃしていた。子どもは口々に今度の先生はつまらない、つまらないと文句ばかりを言うんです。「僕は決定的に間違ったことをやっているな」と思った出来事だった。要は「口を開けて待っている子どもを一生懸命育てていたんだな」と。おいしいエサを投げてくれる人を待っていて、「おいしいエサがこない、おいしいモノが降ってこない」と文句を言う子を全力で育てていたんだなって。自分の承認欲求を満たすために、そんなところにたどり着いちゃったなと、大きなショックを受けました。

―― 担任を受け持ったクラスの荒れる姿を見て、「俺の授業はやっぱり良かった」で終わらないところが素晴らしいです。

岩瀬 僕にとっては最高のクラスだと思っていたんです、数カ月前までは。子どももすごく仲が良く見えていたし、何事もなかったはずなのに、たった1、2カ月でこうなるっていうことはそうではなかったんですね。僕がどこか押さえ付けているところがあり、僕の勢いでもっていっているところもあり、子どもたちは僕のレールの上、僕の土俵の上に乗っていただけだった。

―― 自分以外の誰かによってきれいに整えられた環境があって、初めて成り立っていたのですね。

岩瀬 「子どもの力ではなかった」というのは僕にとってものすごく大きな経験で、こんなアプローチではもうダメだと試行錯誤するのだけど、やっぱり自分がやりたい。すぐにそこから変わることができず、日々模索をしていました。

―― 一人ひとり違う子どもの力をどう育てどう引き出すかに正解はなく、トライ&エラーでやってみないと分かりません。

岩瀬 変われたきっかけとして一番大きかったのは、僕が30歳のときにワークショップというのが世の中ではやり始めたころで、大人の色々な学びの場が社会でクローズアップされるようになった。それにできるだけ多く参加してみようと思った時期があったんですね。学校のいろんな研修に行っても、やはり今までの繰り返しで、ちょっと学びの場を変えてみようと、街づくりや企業のチームビルディングの研修などに行きました。そういうところに行くと、僕が学び手としてすごく楽しかったんです。

 ファシリテーターが前に出てくるんじゃなくて、自分たちでつくっていく、自分たちで相談して企画するということがすごく面白い。ある瞬間からファシリテーターがふっと自分の意識から消えて、自分たちだけで活動しているという感覚です。「あ、学ぶってこんな感じだ」、これって大人だけに限らないなって。「子どももきっと自分たちで決めることが学んでいるっていう実感なんだろうな」と自分の実感で初めて分かって、そこでぐっとかじを切ろうと思ったんですね。そのときに、まず教室の机を4つ向き合わせたグループの形に固定するようにしました。従来の前向きには置かないって自分で縛りを決め、この形でしか学べない学びにしようっていうふうに変えるところからスタートして。色々なことをチャレンジし始めました。例えば作文にしても、さっきも本城と「修学旅行が終わった後の作文とか最悪だよね」って話をしていたんですが(笑)。

教室の机の配置を変え、グループで学び合うスタイルにした(写真提供:岩瀬直樹)
教室の机の配置を変え、グループで学び合うスタイルにした(写真提供:岩瀬直樹)

―― そうですね。「〇〇が楽しかった」「〇〇が学びになった」と書くべき正解があるようなお題ですね。

岩瀬 それで、「皆さんは作家です。皆さんは作品をつくり、読み手がいるから、自分が書きたいことを読み手へ届けよう」という“作家の時間”という授業を始めたんですね。書くテーマも決めていい、書き方も決めていい、作業に集中できる仕事場も選んでいい。あなたは作家だから。その代わり、読み手に伝わる作品を書こうという授業を始めたら、あんなに作文を嫌がっていた人たちがぐっと夢中になって、もう作文じゃないんですよね。いい作品を書きたいと、チャイムが鳴ってもやめない。僕に聞くのも添削ではなくて、うまく書けているかアドバイスが欲しいと言う。全然漢字が書かない子が「やっぱりひらがなだと読者に恥ずかしいし」と言って、辞書を一生懸命に引いて漢字に書き直す。子どもたちの意欲がぐんと変わりました。

―― 学びのスタイルを変えるだけで、同じ子どもが変わるってすごいことですね。

岩瀬 「やっぱり自分の手元に学びのコントローラーがあると、人ってぐっと学ぶんだ」っていうことをそのときに感じました。それまでは一生懸命に「朝起きたらドラえもんが横に寝ていた」という作文なら楽しく書くんじゃないか、こんなネタなら作文をうれしく書くんじゃないかとたくさんのネタを用意することに力を注いでいた。でも、これは違った。そうやって実は学びをすごく阻害していて、本来は自分で学べるはずなのに、学ばされる体に僕がしてしまっていた。でも、あなたの手元にコントローラーがあるから自分で学びたいように学んでみよう、に変えるとこんなに情景が変わっていくんだというのが大きい転換点で。その試行錯誤をしているときに本城が来てくれたんです。