2016年初の決意「学校をつくることに真剣に取り組まないと後悔する」

―― 岩瀬さんと本城さんは、どういった形で出会ったのでしょうか。

本城 岩瀬と最初に会ったのは、2008年に僕が校長をしている2年目のとき。面白い授業をしている人がいると聞いて、会いに行きました。当時、僕は公立中学校の授業現場に関しては、よく分からなかったんですね。学校だから授業をよくしなければいけないのに、校長である僕は授業をしたことがない。どういうふうにしたら授業ができるのか。いい授業って何なのだろうと思っていた矢先、彼が当時勤めていた埼玉県の小学校の授業を見に行くことができました。授業を見て「すごい!」と思ったのですが、そのときはこれを自分の学校に持ち帰って現場の先生にどう伝えたらいいんだろうということが分からなくて、結局自分の中だけにとどめておくことにしたんです。それからずっと間が空いて、2015年7月に「森のようちえん ぴっぴ」のスタッフ研修で、一緒に2泊3日の時間を過ごす機会があり、それが2回目の出会いです。

―― 7年ぶりの再会はいかがでしたか?

本城 それまでの7年間は、音信不通です。僕は彼のブログを時々見ていて、今こんなことをしているんだとか、小学校を辞めるんだっていうことは知っていました。岩瀬の本を読んだりもしていましたけれども、全然仲がいい形ではなくて、ただ知っているという間柄だった(笑)。

―― 岩瀬さんの授業を「すごい」と思った部分と、それを現場に伝えるのが難しいと思ったのは具体的にはどこだったのでしょう。

本城 今振り返ると、岩瀬がその授業の中ですごく活躍している場面や彼が何をしていたのかというのは全然覚えていないんですよね。印象に残っているのは、そのクラスにいた子どもたちの姿なんです。でも、僕が思っていたいい授業って、先生が活躍しているというか、先生が前に立って面白い話をして、いい講演みたいな形でぐいぐい引っ張っていくような内容だと思っていた。そんな先生の印象って、すごく残ると思うんです。でも彼がしていたのはそうではなかったので、「あれ? このときって、岩瀬先生って何をしていたんだろう」と後から考えて……。彼は何もしていないように見えたのに、子どもたちは学んでいたり、子ども同士でやり取りをしたりしていましたね。

―― 先生は見守り、子どもたちが自ら学んだり子ども同士教え合ったりしていたんですね。

本城 その印象だけが、今もすごく残っていて。これは、僕の言葉ではなかなか伝えきれないなと思っていました。

―― その印象を持ったまま2015年の夏に再会して、そのときは学校をつくろうと思っていたんですか?

本城 全然。そのときは大学の先生になろうと思っていて(笑)。

―― 色々なプランや可能性を探っていた時期なんですね。

本城 学校設立までは、いろんなことをしていました。僕はこの18年間ずっとコーチングを受けているのですが、2016年のお正月に、そのコーチとのセッションの中の「今年どんな一年にしたいですか」「これからの将来のビジョンは?」という対話の中で、「やっぱり学校をつくるということに真剣に取り組んでから死なないと後悔するな」と思って。「学校をつくろう」というよりも、「学校づくりに真剣に取り組んでみよう」って思ったんです。そのときにどんな学校をつくりたいかというよりも、ふと「岩瀬直樹とつくりたい」と思いました。

―― 当時、岩瀬さんが小学校の現場から離れて、大学の准教授になっていたことも知っていたのでしょうか。

本城 そうですね。でも、岩瀬直樹とつくりたいけれど、そんなに知り合いじゃないしなって(笑)。それから5カ月間くらいかけて彼へのメールを書いて、こんなこと考えているんだけど、一回相談に乗ってくれませんかというメールを送り、岩瀬と会いました。それが風越学園設立プロジェクトの始まりです。準備室のメンバーは岩瀬と僕も含み4~5人でしたね。

―― 今では、関わるスタッフが20人になりました。本城さんが岩瀬さんに声をかけてすぐ、順調に進んだのでしょうか。「学校をつくる」ってシンプルですけれど、すごく大変ですし、つくって終わりでもなく、受け取る人によっては、雲をつかむような話かもしれません。

岩瀬直樹さん(以下、敬称略) 学校をつくる話だというので、最初はアドバイスだったり、手伝いだったりをするのか思って会いに行ったら、実は「一緒につくらないか」と言われて。でも即答でした。「あ、一緒につくってみたいな」という気持ちになって。その日のうちに返事をしたと思うんですが、僕の中でも「学校をつくってみたい」とずっと思っていたんです。