―― 松山バレエ団で11年間とは、本格的ですね。

平原 週に3~4日通っていました。周囲はプロ志向の人が多く、先生方も真剣に教えてくださいましたね。お稽古事として男女を問わず、バレエはおすすめですよ。今、ステージに立つ仕事をしていても、自然にきれいな姿勢で立ち居振る舞いができますし、肺活量が鍛えられます。何より、地道なレッスンを積み重ねることで、絶対に諦めない心が育つと思います。

―― 他にも何か習い事はされていましたか?

平原 塾、そろばん、習字、水泳にも行っていました。多いときは1日4つをはしごしていて、分刻みのスケジュールでしたね。おかげで、デビューしてどんなに忙しくても、“小学生のころのあの忙しさに比べたらまだ大丈夫”と感じるほどです(笑)。

 習い始めはいつも、3歳上のお姉ちゃんを追いかける形でした。バレエでいうと、ある日、いつものように母と一緒に姉を送りにいったら、母に「今日はあーやも踊るんだよ」と言われて、レオタードを渡されて。それがとてもうれしくて、自然に通うようになりました。両親が共働きで、放課後、家に一人でいさせるのはかわいそうだからと、幼少期に培うといいと思われるものを色々習わせてくれたのだと思います。

絶対に応援してくれると感じさせてくれる両親

―― やってみて、挫折したりといったことはありませんでしたか?

平原 基本的には、できないことも楽しめる子でしたが、一度、ものすごく悩んだことがあります。スイミングスクールは8年通ったのですが、小1のとき、息継ぎができなくて、生まれて初めて挫折感を味わってしまった。それほど必死で、本気だったんです。何事にも一生懸命になっちゃうタイプなので、「私はダメだ」と思い込んで泣いていたら、母に「どうしたの?」と声をかけられて。「じゃあ、もう一度教えてくださいとお願いしようね」ということになって、改めて教えていただいたら、できるようになったんですよ。それからは水泳が得意になって、私は人魚かも、と思えたほどです(笑)。

―― そんなに一生懸命に頑張る娘さんを見ていて、お父さん、お母さんとしてはかわいくて仕方なかったでしょうね。

平原 どうでしょう。でも習わせがいはあったでしょうね。両親は習い事から帰ってきた私によく「今日はどんなこと習ったの?」と聞いて、シャイだった私が(言葉でなくジェスチャーで)こうやってこうやって、とやって見せると、すごくうれしそうに見ていてくれたのを覚えています。私が『魔女の宅急便』に憧れてほうきにまたがって遊んでいて、「あーや、飛ぶの?」と言われたとき、恥ずかしくて「ううん飛ばない」と答えても、「飛べるよ、あーや」と言いながら写真を撮ってくれたり。絶対に応援してくれると感じさせてくれる両親でした。

―― たくさんの習い事をやってきてよかったと思いますか?

平原 忙しかったのは確かですが、振り返るとよかったことばかりです。今、私は音楽の仕事をしていて、それは時にすごく苦しく、自分との戦いになることもあります。そんなとき、バレエで培った“諦めない心”が支えになって、よほどのことがない限り諦めないぞと思えるし、水泳で水も怖くなくなったし、そろばんだって習字だって今に役立っています。役立たない習い事なんてない、と感じます。