社員はみんな子ども。フォローする、成長させるのが役目

―― 子育ての経験は人材育成に活きていますか?

諏訪 人材育成は、子育てと一緒です。社員をフォローする、成長させるのが私の役目。私からみたら社員はみんな子どもなんです。60歳の人もみんな息子。

 若者の感覚とはどうしてもずれるので、若者と話をしている時は彼らの年齢まで下がるんです。子育てしていると、子どもとの目線は自分と違うと感じるじゃないですか。私の場合、いままで友達感覚で息子の目線で対応してきました。その経験が活かされていると思います。例えば、息子が20歳なら、自分はそのころどうだったのか考えるようにしています。

 もちろん子育てをしていなくても同じことをやったと思います。私は父親の姿を見て学び、同じことをしているので。父親の影響は大きいです。

若者世代の声に耳を傾け、感謝できる姿勢を持つ

―― 若手を育成するためのポイントを教えてください。

諏訪 「今の若者は~」という概念は取り除いたほうがいい。私たちだって、若いころは“新人類”と言われていて、全然理解できないと言われていました。

 発言する子は生意気だとか、うとまれやすいですが、それは我々世代が成長していない証拠。彼らの声に耳を傾け、言ってくれることに感謝できる姿勢を持てるように自分たちが成長しないといけない。生意気くらいがちょうどいい。言ってくれるほうがありがたいです。

 私自身も、新入社員で勤めていた大手自動車部品メーカーにいたときに、生意気だと言われたことがありました。だから、思い切って発言した子の気持ちを大切にしないといけない。出る杭は打たれるので、出る杭を守ってあげるのが我々の役目です。

 自分自身も新しいことを楽しいと思えるように心掛けています。初体験のものを楽しいと思える、子どもの心を忘れないように、持ち続けたいと思っています。

―― 今回、諏訪さんの著書が原作でドラマ化されることになりました。最後にメッセージをお願いします。

諏訪 20代・30代の若い人に見てほしいです。社長になったときは32歳の専業主婦で、ど素人が経営を始めました。特に才能があったわけでも何でもありません。基本に忠実にやるだけで、ここまで来ることができました。こういう人もいるんだ、だから頑張ろう、というモチベーションを少しでも持ってもらえればありがたいです。

(取材・文/平野友紀子)

諏訪貴子
ダイヤ精機代表取締役社長
1971年東京都大田区生まれ。1995年成蹊大学工学部卒業後、自動車部品メーカーのユニシアジェックス(現・日立オートモティブシステムズ)入社。1998年、当時社長であった父に請われ、ダイヤ精機に入社するが、半年後にリストラに遭う。
2000年再び父の会社に入社するが、経営方針の違いから2度目のリストラに。2004年父の急逝に伴い、ダイヤ精機社長に就任、経営再建に着手。その後10年で同社を全国から視察者が来るほどの優良企業に再生した。
経済産業省産業構造審議会委員。政府税制調査会特別委員。
「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2013」大賞受賞。
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32歳の時に父が急逝し、突然社長を継ぐことに。バブル崩壊の余波もあって赤字経営が続く中、再建の舵取りをいきなり任され、以後、様々な壁にぶつかりながら、「町工場の星」と言われるまでに社業を復活させた。
生産管理へのIT導入、「交換日記」による若手社員との対話など、「情と論理」のバランスの取れた、女性ならではの経営手法が注目され、ダイヤ精機には今や全国から見学者から訪れる。その2代目社長が初めて筆を取り、父や兄への思いを綴りながら、社長になってから10年の軌跡を克明に振り返る。
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