6歳男の子の子育てをしていた専業主婦が、父の急逝を受け、32歳で突然町工場の社長に……。精密金属加工メーカーのダイヤ精機の代表取締役社長の諏訪貴子さんが、2004年に社長になってから10年の奮闘を綴った『町工場の娘』(日経BP社)。本書籍を原作としたドラマが、11月24日(金)(22時~、NHK総合、『マチ工場のオンナ』)から放送されています。

 諏訪さんは、亡くなった父の後を継ぎ、経営難に陥っていた会社で数々の経営改革を断行。リーマン・ショックや東日本大震災、歴史的な円高などの危機も乗り越え、3年連続で売り上げを伸ばし、会社を成長に導きました。生産管理のIT化や若手社員の育成など、中小製造業が直面する課題を次々と解決し、自社の成功事例を積極的に情報公開しています。

 今回は、諏訪さんに経営者の姿勢や若手育成論、仕事と子育ての両立について伺いました。上編「40代になり、初めて夢を見ることができた」に続き、後編をお届けします。

教えるのは簡単だけど、言ってしまうとその能力はつかない

日経DUAL編集部(以下、――) 諏訪さんは人材育成にも熱心に取り組まれています。

諏訪貴子さん(以下、敬称略) 最初の3年間は、この会社を安定させることが目標でした。そのため、目標が達成されたときに、脱力感に襲われたんです。そのとき、私はもっと知見を遠くして先を見据えなければ、これからの社長人生のモチベーションを上げていけない、と思いました。だから、この技術を日本に残すとか、社員に一戸建てを建てられるようにする、など遠い目標や理念を作りだしました。その中で、人材確保・人材育成に取り組まないと事業を継続していけないので、2007年から取り組み始めました。

 当時はまだ景気も悪くなかったので、“人材育成”としか言われておらず、“人材確保”まではうたわれていませんでした。けれど、これから高齢化が進んでいくので、計画的に確保と育成をやっていかないといけない。試行錯誤をしながら始めました。

―― 若手社員を育成するために、メンターとして身の回りのことや会社での習慣などを何でも聞ける「若手生活相談係」や新入社員の書き込みを若手生活相談係と社長で回覧しアドバイスを書き込む「交換日記」など、社員とのコミュニケーションを大切にされています。

諏訪 交換日記は、中間管理職の子からめんどくさいという反発もありました。交換日記は、読み手の能力が重要なんです。書く文字や内容から、本人がどういう状況でどういう心境か読み解かないといけない。その目を養わないといけません。

 私は何のためにやるのか、一切言いませんでした。でも、10年続けてきて、中間管理職の子たちがノートを見て「この子こういう感じですね。だったら、こういう教育入れましょうか」ということを自ら言うようになったんです。

 教えるのは簡単だけど、言ってしまうとその能力はつかない。だから、あえて目的を言わずに、私が何のためにやっているのか探しなさい、と言いました。10年かかりましたけどね(笑)。

―― ほかにも、目標管理のための「チャレンジシート」や技能検定の取得の奨励など、社員の成長につながる取り組みもされています。

諏訪 遠い目標だとモチベーションがなかなか上がりませんが、目指すところが細分化されると目的が近くなります。

 あとは、声がけ。とくに、新人さんは毎日声がけしています。「今日も元気? 顔色いいじゃん」くらいしか接していないのですが、普段から気にかけていることを伝えています。それをやることによって見てもらっているんだという安心感が生まれるようです。じっと見ると緊張してしまうので、ダメみたいです。