40代になり、初めて夢を見ることができた

―― 子どもが夢を見つけるのを、親としてはどのように応援していけばいいのでしょうか?

諏訪 若い頃は夢を持てないんです。私も持っていなかった。20代は言われたことをやるのに精一杯。30代はやらなきゃいけないことで精一杯。40代になり、行動と知識がようやく追いつき、先を見据えたときに、夢というのを初めて見ることができました。

 男性はとくに40代が起点だと言われるんです。だから、40歳になってから40代をいかに生きるか、人生の先輩に何をしておけばいいのか聞いてきました。

 分かったのは、夢は無理矢理作るのではなく、できてくるもの。ただ、それまで努力してこないと出てこない。努力の結果が、夢が出てくるか、出てこないかだと思います。

 若いうちに夢を持てというのは難しいかもしれないけれど、いまの状況で精一杯できることを精一杯やっていくと、いずれ夢というものが出てくる。いま息子は、就職という人生の岐路にいます。いまの環境下において、自分の精一杯のことをやりなさい、ということは伝えています。頑張っていると、チャンスの神様は降りてきてくれます。

―― いまの諏訪さんの夢は?

諏訪 個人としては、人生折り返し地点なので、最期に命尽きる時に「楽しかった」と思えるようになりたい。企業としては、社員が大田区に一戸建てを建てられるようにするのが夢。40代のいまがめっちゃ楽しいです。

(取材・文/平野友紀子)

諏訪貴子
ダイヤ精機代表取締役社長
1971年東京都大田区生まれ。1995年成蹊大学工学部卒業後、自動車部品メーカーのユニシアジェックス(現・日立オートモティブシステムズ)入社。1998年、当時社長であった父に請われ、ダイヤ精機に入社するが、半年後にリストラに遭う。
2000年再び父の会社に入社するが、経営方針の違いから2度目のリストラに。2004年父の急逝に伴い、ダイヤ精機社長に就任、経営再建に着手。その後10年で同社を全国から視察者が来るほどの優良企業に再生した。
経済産業省産業構造審議会委員。政府税制調査会特別委員。
「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2013」大賞受賞。
【書籍内容紹介】
32歳の時に父が急逝し、突然社長を継ぐことに。バブル崩壊の余波もあって赤字経営が続く中、再建の舵取りをいきなり任され、以後、様々な壁にぶつかりながら、「町工場の星」と言われるまでに社業を復活させた。
生産管理へのIT導入、「交換日記」による若手社員との対話など、「情と論理」のバランスの取れた、女性ならではの経営手法が注目され、ダイヤ精機には今や全国から見学者から訪れる。その2代目社長が初めて筆を取り、父や兄への思いを綴りながら、社長になってから10年の軌跡を克明に振り返る。
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