アフガニスタンなど世界の貧困・紛争地域の支援に国連難民高等弁務官として力を尽くした緒方貞子さんが、2019年10月末、92歳で亡くなった。緒方さんと交流のあった『日経ESG』発行人の酒井耕一が、キャリアを振り返りながら追悼する。

緒方貞子氏 撮影/村田和総(『日経ビジネス』2009年11月16日掲載より)
緒方貞子氏 撮影/村田和総(『日経ビジネス』2009年11月16日掲載より)

 緒方貞子氏とはかつて、同じ屋根の下に住んでいたことがある。

 筆者がニューヨーク支局に勤務していた2001年、自宅のアパートのエレベーターで緒方氏とばったり会った。挨拶をすると、「研究活動のため、こちらに引っ越してきた」と教えてくれた。

 1991年から10年間務めた国連難民高等弁務官の仕事を終えて、援助活動の在り方を論文にまとめるために米国の財団に研究員として籍を置き、執筆を続けるとのことだった。

現地主義を徹底する“強い人物”

 それからアパートの玄関やロビー、近くの街角でたびたび緒方氏とお会いしては、挨拶を交わした。「今日は暑いわね」「これからお出掛けですか」。短い会話ばかりだったが、緒方氏はいつも笑顔だった。

 緒方氏といえば、難民問題の解決のために、世界の紛争地帯を歩く姿が広く知られている。最高幹部でありながら、現地主義を徹底して、危険地帯にも自ら赴く行動力への国際的な評価は高い。さらに米国の大統領ら大国のリーダーに難民援助への協力を積極的に求める交渉力でも知られていて、“強い人物”という印象を持っていた。

 しかし、学術書をカバンに入れて自宅に近い財団のオフィスを行き来する姿は、静かな研究者であり、何よりニューヨークを楽しむ日本人でもあった。

 そんな緒方氏の穏やかな日々は、あるときを境に一変する。2001年9月11日の同時多発テロである。