緒方氏はその後、日本政府アフガニスタン支援首相特別代表に就任、さらに2003年には国際協力機構(JICA)理事長となり、再び国際社会の表舞台で活動を続けた。筆者も東京に戻り、たびたび緒方氏にインタビューをした。

大国の「腰が引ける」姿勢を問題視

 緒方氏が一貫して主張したのは、米国や日本という大国の責任だった。支援や援助にはさまざまな形がある。被災地には市民のボランティアもいれば、医者もいて、軍隊もいる。緒方氏が指摘したのは、状況が大規模になり、複雑になればなるほど一定の資格や装備を持った国や組織、人材の出番が必要だという点にある。重い疾病で悩む人には、専門の医者でなくては対応できない。テロの危険が伴う難民キャンプを守るには、装備をして訓練を積んだ警備隊が治安維持に欠かせない。米国や日本はさまざまな国々の厳しい状況に積極的に関わるべきなのに、「(途上国に関わり過ぎると)自国民から反発が出る」「援助にはキリがない」として腰が引ける場面が多いことを強く問題視した。「『日本だけ、日本人だけが安全、無事であればいい』というモノの見方から脱却してほしい」とも繰り返し話した。

 緒方氏による「難民や被災者が忘れ去られることがないように」というメッセージは、2015年に国連がニューヨークで「誰一人取り残さない」という言葉を添えて、「SDGs(持続可能な開発目標)」という宣言をするに至った。SDGsの達成に一人ひとりが取り組むことこそ、緒方氏の活動や主張に応えることであり、何より緒方氏が笑顔を見せることだろう。

文/酒井耕一=日経ESG発行人