皆さんこんにちは。ジャーナリストの治部(じぶ)れんげです。今日は、共働き子育て中の皆さんに、ぜひご覧いただきたい映画についてご紹介します。

夫婦間の暴力や脅迫は証拠がなければ「主観の問題」にされる

 映画『ジュリアン』は、フランスを舞台に親子関係や夫婦関係を描いたフィクション。物語は、両親の離婚で、11歳の男の子・ジュリアンの親権を争う裁判所のシーンから始まります。妻のミリアムは自分の単独親権を、夫のアントワーヌは共同親権を主張して正面から対立。ミリアム側の弁護士がアントワーヌの暴力について証言すると、アントワーヌ側の弁護士は、そんなのは嘘であり証拠がないと反論します。

 日本には共同親権の制度はなく、離婚家庭の子どもが置かれる状況はフランスとは異なります。しかし、この冒頭シーンを見たときに私が感じたのは、日本との共通点です。多くの日本の親が離婚時に同じような経験をしているからです。友人・知人の離婚経験者からは、元配偶者が子どもと頻繁な面会を要求してくるとか、浮気など非が自分にあっても親権を要求されて困っている、という話をたびたび聞かされます。

 裁判所のシーンでは夫婦双方の弁護士が互いの主張を述べますが、内容は夫婦で正反対になっています。夫の暴力を理由に子どもと会わせたくない妻。暴力などない、自分は子どものことを思っていると言う夫。そもそも離婚に至るからには、夫婦関係が破綻しコミュニケーションが取れなくなっているとはいえ、一つ屋根の下に暮らしていたはずが、同じ現実を正反対に解釈するまでに溝は深まってしまいます。そこに、夫婦関係は破綻しても親子関係はできるだけ維持したほうが良いという規範も入ってきます。

 こんなふうに自分の主張と正反対のことを言われるのも、離婚を経験した人にとっては既視感のある光景でしょう。暴力や脅迫も証拠がなければ「主観の問題」として片づけられてしまう。こうして映画はフランスを舞台にしていながら、日本で暮らす人たちも、経験したことがあったり聞いたことがあったりする場面を次々に見せていくのです。

 この映画の主要なテーマはDVです。直接暴力を振るうシーンを最小限に抑えつつ、映画は「暴力の予感」におびえる子どもや妻の表情を丁寧に描いていきます。母子の日常に恐怖が染み込んでいたことがじわじわと伝わってきました。DVの被害経験者や支援者に取材してきた経験から、映画で描かれるDV問題のリアリティーは真に迫っている、と思いました。

妻・ミリアム(左)と夫・アントワーヌ(右)の主張は真っ向から対立する。 短時間で双方の主張を聞き、単独親権か共同親権か決定するのは裁判官(後ろ姿の女性)。 判断のミスは子どもを危険にさらすことになる。
妻・ミリアム(左)と夫・アントワーヌ(右)の主張は真っ向から対立する。 短時間で双方の主張を聞き、単独親権か共同親権か決定するのは裁判官(後ろ姿の女性)。 判断のミスは子どもを危険にさらすことになる。