必要なのは“どこかのオジさん”
僕たちがやりたいことは、“どこかのオジさん”のような側面もあると思います。
例えば、自分が中学受験をした親は子どもにもさせたいと考えるだろうし、自分が公立中学に行ったから公立がいいと思う親もいると思います。でも、今の時代と過去では色々と状況が違いますよね。子どもは自分で判断するには材料が少なすぎるのではないでしょうか。疑うための知識も持ち得ないから、結局は近くにいる人たちの考えを信じながら生きていくことになりますよね。
でも、親も先生も完璧ではないから、果たして正しいかどうかなんて分からない。子ども以上に悩みながら、これがいいんじゃないか、これは駄目なんじゃないかと日々考えつつ、子どもを案じながら子育てしていくんですよね。僕はそこで、先生や親とか、学校と家庭という2つの世界以外の価値と触れ合う機会を、子どもたちに持ってもらうことも非常に大切だと思っているんです。
現代は、異質なものと触れ合う機会が減ってしまった。すごく身近な例をひとつ挙げれば、会うたびに「大きくなったねぇ」と思い出話ばかりする商店街のオバちゃんとか、会うたびに説教をぶってくる親戚のオジちゃんとか、そういう人との触れ合いも少なくなってきました。ときに煩わしい地縁とか血縁、あるいは世間というのが減ってきていますが、そういう人たちの中に「父ちゃんや母ちゃんはああ言ってっけどさ、俺はお前の考えるとおりに生きりゃいいと思うよ。俺だって、こんなふうに生きのびてるから」と一声言ってくれるような人がいたら、子どもは救われるかもしれない。
あるいは逆に「こんなオジさん(オバさん)になってたまるか」でもいい(笑)。回顧主義に浸っているわけではなく、自分が知り得ない価値に触れること、そして異なる価値と出合い、共存することは、これからの時代のテーマともなるだろうし、社会に出る前の子どもたちに必要なもうひとつの出合いだとも思います。その役割を映画は担ってきたし、これからも担えるだろうと思っています。
子どもの感性には驚かされるばかり
僕は自分の子どもたちには、僕がやっている仕事について詳しく話しません。うちの子たちは映画を作る人に興味を持っていなくて、仮面ライダーを作っている人とか、ユーチューバーのほうが憧れの対象です(笑)。
でも、作品のポスターや予告編は決定前に候補を見せて、「どれがいいと思う?」と聞いたりします。うちの子だけじゃなくて、スタッフの子どもたちにも見てもらったりしています。子どもの感性には、驚かされることが多いんです。大人たちが「子どもにはこれがいいんじゃないか」と思うものと、子どもが選ぶものは違うことが多い。子どもの意見や感性は大いに活用させてもらってます。
今、僕たちがやりたいのは、子どもと大人が一緒に観ることのできる映画を作ること。観終わった後に、子どもは子どもなりに何かを受け取り、大人は自分の中にある子ども時代の記憶を呼び覚まされたり、あるいは、大人と子どもで全く違う見方ができたりする映画です。大人と子どもが、ひとつのスクリーンを共有しながら、同じことを、または全く違うことを考える機会こそ、映画体験の本質的な醍醐味だと思います。
8月24日公開 配給:東宝 公式サイト:http://www.ponoc.jp/eiyu/
(取材・文/清水久美子 撮影/小野さやか)