子どもたち自身の中から生きる力が芽生えるような作品を

 大人たちの中には「子どもは気楽でいいよね」と楽観する人もいるけれど、実のところ、子どもってそんなに気楽じゃないと僕は思います。子どもであるということ自体が根本的な不自由さや抑圧というものを内包しているからです

 新プロジェクト「ポノック短編劇場」第一弾の一作『サムライエッグ』では、卵アレルギーの少年の物語を扱っていますが、僕たちはここで卵アレルギーという症状の存在を広く知らしめることを目的とはしていません。この物語には、ストーリーのモデルとなった少年がいるのですが、企画の発端は、その少年が生まれ持った不自由に立ち向かう姿勢に感銘を受けたことです。少年は自分の意思で卵アレルギーを選んだわけじゃない。逃れられないものを抱えながら、必死に誰かを思って、優しさを持ち、時に傷つきもし、懸命に自分の命をつかみ取りながら日々を生きている。その姿そのものに心から敬意を抱きましたし、その姿を描いたとき、多くの人たちに大事なものが伝えられるのではないかと思いました。

 『サムライエッグ』の少年が抱えるのは「卵アレルギー」という不自由さですが、生まれながらに目が悪い子もいるし、どうしても足が遅かったり、泳ぎが苦手な子もいます。僕の幼少の頃のように貧乏な家庭に生まれた子もいるでしょう。

 大人になれば、不自由や不得手から逃れる術があります。働いてお金を稼ぐことができ、自立して人生を選択することができる。今の環境が嫌だったら、引っ越すこともできます。こんなふうに大人には問題を避ける方法があるけれど、子どもはそうはいかない。

 子どもは自身の力で不自由を避けることも、自由を獲得することもできない。親の都合で引っ越して、大の親友と別れてしまうこともありますよね。他の子はサンタクロースからプレゼントをもらうのに、サンタがプレゼントを枕元に置いてくれない子もいるし、家族で一緒に暮らしたいのに、家族が離ればなれで暮らす子もいるでしょう。 子どもたちは、大なり小なりそれぞれの生活でその子なりの不安や悲しみや不条理を経験しながら、その中で力強く輝こうとするのです。

 子どものことに思いを馳せるときに、子どもたちの側にたって何かを伝えられたり、励ましたり、勇気づけたり、あるいは叱ったり、その場をやり過ごすことを教えたりできる仕事というのは、僕は世の中で最高に崇高な仕事だと思っているんです。人生を懸けるに値する仕事とさえ思っています。そういう仕事は、苦しくてもやる価値があると思い、今の仕事を続けています。

 くじけてしまいそうな困難さから抜け出すための力や方法を持たない子どもたちに対して、アニメーション映画を通して何かを伝えられないかといつも考えています。教条主義的に押し付けるのではなく、「この映画は僕たちのものだ」と思ってもらえるような作品、子どもたち自身の中から生きる力が芽生えるような作品を作れたらうれしいですね。