―― 執筆の方法は独学ですか?

佐藤 はい、独学です。そこからは、児童文学の編集の方と一緒に「ああでもない、こうでもない」と、それこそ喫茶店で向き合って、「悪くはないんだけど、これでは出せない」「どうしよう、どこがいかんのだろう」と1時間以上、言葉もなく「うんうん」唸っていたりとか。そういう試行錯誤を経て、ちょっとずつ力を伸ばしてきた、という感じですね。私はとにかくトータルとして作品数が少ない作家で、振り返ると、1年に1作も書いていないんです。

 その後もずっと取材をしたり、書いたりの生活です。取材費は出版社から出していただけることもありましたが、自分で出すときもありましたので、純粋に一人暮らしで、仕事をしながら生活するということを考えると、恐らく成り立っていないはずです。人生のどの場面でも、かなり成り立っていないことが多いと思います。親の家にいて、そういう意味では、プロ意識があまりしっかりしていないかもしれません。

30歳で結婚し、32歳で出産。育児は、子ども好きの実母に助けてもらった

―― DUALは共働き向けのメディアということもありますので、この辺で、ご家族構成を教えていただけますか?

佐藤 夫は小学校時代の同級生で、25歳のときに同窓会で再会して、そこから5年付き合って30歳で結婚。32歳で娘を産みました。今、その娘は23歳です。出産後は、実家から徒歩10分の場所に新居を構え、育児は母にかなり手伝ってもらいました。日中は母に家に来てもらって、その間、私は仕事をするという流れです。幼稚園の送り迎えや学校行事への対応は私がしました。母は本当に子ども好きで、娘を預かることについては、全く苦にしていなかった印象でした。ただ、「夜は絶対(娘の)面倒を見ない」といって夕食後は見てもらえませんでした。くつろげないので、同居も「遠慮したい」と言われていました。

 食事は全部私が作っていました。公園に連れていくなどは、親同士の付き合いもあるので、私がやっていましたし、自分の家の中で仕事をしているので、娘が「どこか行きたい」と言えば私が仕事を止めて連れていく。子どもが病気になったら、私が病院に連れていくという感じです。土日は娘を夫にお願いして、休まずに毎日書いていましたね。私はラクに気持ちを切り替えられるタイプなので、書けるときにちょこちょこ書き進めていた、という感じです。昼食を食べた後、食器を傍らに押しやって、パソコンで原稿を書いていたら、母から「いくら何でも台所に食器を下げるぐらいしなさい」って言われたこともあります(苦笑)。

 一方で、子どもが親に必要とすることは全部、私が対応しました。子どもに関する用事を「仕事で行けない」と断ったことはないと思います。子ども最優先で、小学校行事も全部出ました。公立小学校だったのですが、「どんぐりのクッキーを作るので、どんぐりを採ります」「ミシンの使い方を教えるから学校に来てください」「カレーを作りましょう」「児童が街中の探検をするから引率してください」「読み聞かせをお願いします」と、色々呼び出されました。

 実は、幼稚園のときに「仕事をしているからPTAには関わりたくない」というスタンスを取ったところ、保護者ネットワークから仲間外れを食らったことがあったのです。


* 次回、「中学受験は後悔の嵐。親が間違っていることは多い」も、お楽しみに!

(取材・文/日経DUAL編集部 小田舞子、撮影/鈴木愛子)