2021年開催の東京五輪のスポーツクライミング女子総合で銅メダルを獲得した野口啓代さん。同大会で現役を引退し、年末には同じくスポーツクライミングの日本代表、楢﨑智亜さんとの結婚を発表。新しい人生をアクティブにスタートしています。クライミングとの出合い、一流選手を育んだ父の寄り添い方、注目される今後の活動、そして健康な身体づくりに大切なことを語ってもらいました。

のぐち・あきよ●プロフリークライマー。1989年茨城県生まれ。小学5年生でフリークライミングに出合い、わずか1年で全日本ユースを制覇、その後数々の国内外の大会で輝かしい成績を残し、2008年には日本人としてボルダリングW杯で初優勝、翌年には年間総合優勝し、以降、その快挙を3度獲得。W杯優勝は通算21勝。18年にはコンバインドジャパンカップ、アジア競技大会で金メダル。19年世界選手権で2位。競技人生の最後の舞台となった東京2020大会では銅メダルを獲得。21年12月、楢﨑智亜選手と結婚を発表。現在は自らの会社を立ち上げ、イベント、講習会、講演などを通しクライミングの普及に尽力。今後は大会主宰なども行っていく。
のぐち・あきよ●プロフリークライマー。1989年茨城県生まれ。小学5年生でフリークライミングに出合い、わずか1年で全日本ユースを制覇、その後数々の国内外の大会で輝かしい成績を残し、2008年には日本人としてボルダリングW杯で初優勝、翌年には年間総合優勝し、以降、その快挙を3度獲得。W杯優勝は通算21勝。18年にはコンバインドジャパンカップ、アジア競技大会で金メダル。19年世界選手権で2位。競技人生の最後の舞台となった東京2020大会では銅メダルを獲得。21年12月、楢﨑智亜選手と結婚を発表。現在は自らの会社を立ち上げ、イベント、講習会、講演などを通しクライミングの普及に尽力。今後は大会主宰なども行っていく。

クライミングに本気になったきっかけは妹の影響

クライミングと出合ったのは、私が小学校5年生の夏に家族旅行で訪れたグアムでした。母が免税店で買い物をする間、私と妹が退屈しないようにと父が連れていってくれたゲームセンターにクライミングをするところがあったのです。幼いころから木登りが好きだった私は、夢中で登って遊びました。

父も、娘2人と過ごした時間が楽しかったようで、帰国後にクライミング施設を見つけてくれて3人でよく遊びに行くようになりました。そのうち、自宅から車で30分ほどの場所にあるクライミングジムのキッズクラスに通い始めるのですが、そこで抱いたある感情が、クライミングを本格的に始めるきっかけになりました。その感情とは、「妹に負けたくない」です。

妹は何をやっても私より器用で、クライミングも明らかに私よりセンスがよく、課題(クライミングのコース)も私より早くクリアしました。妹のほうが優れていることに対して、それまでは悔しいと思ったことはなかったのですが、クライミングだけは、すごく悔しかったんです。始めた頃は、ただ楽しく登っていましたが、ここにきて初めて、一番になりたいという感情が芽生えました。