がん患者の「第2のわが家」としてマギーズ東京を設立

西口 訪問看護ではやっぱりがん患者が中心だったんですか?

秋山 そうですね。私が看護師になった理由も、訪問看護に転向したのも、がん患者の家族としての経験からでしたから。もちろんがん以外の病気の方の訪問看護もたくさんさせてもらいました。でも、そうしているうちにがんの医療そのものの中身が変わってきたんです。

 様々な手術方法や薬が開発されたり、放射線治療でも陽子線や重粒子線などが出始めたりして、治療の選択肢が広がったんですね。そうすると、入院期間は短くなるけれど治療期間は長くなる。そしていよいよ治療方法がなくなってくると、「緩和ケア病棟を探してください」とか「在宅ですね」となるんです。

西口 在宅医療は、あとはもうできることがありませんとなった場合の最後の選択だったというわけですね。

秋山 生活の質を上げて、できるだけ症状を抑えながら、できることをできるようにしていくための医療であり、ケアであるはずなのに、まるで在宅ケアは生きることを諦める医療であるかのように、病院から患者さんを渡される。これはちょっとおかしくないかと思ったわけです。私たちのところに来る患者さんたちは、ちゃんと外来で相談することができているのだろうかと。

西口 それが、マギーズ東京の設立につながっていくんですね。

秋山 英国のマギーズキャンサーケアリングセンターのことを知ったのは、2008年のことでした。英国でも、がん治療は日本と同じように外来中心で、ゆっくり話をできる場がない。外来がいいとか悪いとかではなく、「がんです」と言われて、頭が真っ白になる中で色々説明されても、治療や今後の生活のことについて、すぐに答えを出せるなんて人はほとんどいません。私は、病院と家との中間にある「第2のわが家」というようなスタイルが必要だと考えていたので、「ワンクッション置いてゆっくり受け止めて話を聞く」というマギーズのコンセプトを聞いたとき、「これだ!」と思いました。そう思い、翌年にはすぐに視察に行きました。

西口 実際に行かれてみていかがでしたか?

秋山 マギーズセンターの取り組みは本当に素晴らしかったです。でも、一緒に行った友人たちは「マギーズセンターはチャリティで運営されていて、日本とは文化が違うし、遠い海外の夢物語だと思っていた」と後から聞きました。それでも私は「何とかこれを日本でもできないか」と本気で考えて、シンポジウムや講演をするたびにマギーズセンターを日本に立ち上げたいと話していたんです。そうしたら場所を安く貸してくださる方が現れて、マギーズセンターの準備室も兼ねて、2011年に東京で「暮らしの保健室」を開くことができました。

 現在、NPO法人マギーズ東京のもう1人の共同代表である鈴木美穂さんとは、その「暮らしの保健室」で出会いました。日本テレビの記者を務める鈴木さんは、24歳で乳がんになり、手術を受けました。生存率の指標となる5年が経過したときに「がん患者さんとその家族のために、もっと何かできる空間が必要なんじゃないか」と思ったそうです。そこから英国のマギーズセンターの存在を知り、日本ではどうなのだろうと調べたときに、その参考資料にはほぼすべて私の名前が入っていたそうで(笑)。それで、暮らしの保健室まで訪ねていらしたんです。

 そこで彼女と意気投合して、クラウドファンディングにも挑戦したりして、資金を調達。NPOの組織を作り、土地も借りられることになって、念願だったマギーズ東京を開設しました。