“ストリートマジック”から同好会を設立した高校時代

ヨッシー それで高校入学後、校内で“ストリートマジック”を始めたんです。校舎入り口の下駄箱が並んでいるところの脇で、「マジックやってます」という看板まで立てて(笑)。

 最初は恥ずかしかったし、先輩にも目を付けられちゃうかな、と思ったんですけど、同級生も先輩も、みんなマジックを楽しんでくれて。でも先生からは、「楽しいからいいんだけど、ほどほどにね」と注意を受けたんです。

 そこで高校2年に進級してから、学校に申請して「奇術同好会」を設立しました。後輩も4~5人入ってくれて、放課後にみんなで練習していましたね。「僕はマジシャンになろう」と決意したのもこのころです。

 そんなとき、マギー司郎さんが地元の秋田にイベントで来るという出来事がありました。僕が大好きなマジシャンだったので、イベントに行って、そのときファンレターを渡したんです。「僕も将来マジシャンになりたいです」と書いて。

 すると翌日、マギーさんから僕の自宅に電話があったんです! 手紙に電話番号を書いておいたのですが、本当に掛けてきてくれて。もう感動して、興奮して、舞い上がりましたね。そこで、「僕はマジシャンになりたいのですが、親からは大学へ行けと言われています。どうしたらいいでしょうか?」と、マギー司郎さんに“進路相談”をしたんです。

 マギーさんは「大学は行ったほうがいいんじゃないかな。マジシャンになるのは、それからでも遅くないよ」と言ってくれました。憧れのマギーさんがそう言うのであれば、と地元の大学へ進学しました。大学でも同好会を立ち上げましたよ。

―― 大学に在学中も、マジックを続けていたんですね。卒業後はどうされたんですか?

ヨッシー 僕の決意は変わらず、マジシャンになると決めていたのですが、大学へ行かせてくれた親が「どうしても就職してくれ」と言ってきて。それで、会社で働く傍らマジックができる仕事はないかと探したんです。そこで僕が入社したのが、カラオケダイニングを全国展開する会社でした。入社面接でマジックを披露したら、一発で受かりましたね。

―― 面接でマジックをしたんですか(笑)。

ヨッシー はい、僕にできることはマジックしかなかったですから。そこで「僕のマジックは、御社の強みになるはずです!」と訴えたんです。結果、カラオケ店で勤務する傍ら、ルームを回ってお客様にマジックを披露する仕事もさせていただくことになりました。社内で僕だけ特別な顔写真入りデザインの名刺をもらって、肩書もマジシャンでしたね(笑)。

 ちなみにカラオケ店時代に、マギーさんがたまたまお店を利用してくれて再会し、それから何度かイベントに呼ばれたりもしました。今も憧れのマジシャンで、尊敬しています。

―― なるほど。そこからマジシャンへの道が広がっていったわけですね。

ヨッシー いや、そうでもないんです。入社して4年ほど経った26歳のころ、大学時代からの付き合いだった妻と結婚して、事情が変わりました。カラオケ店は日勤と夜勤があり、日勤の妻とは生活リズムが全然合わなかったんです。結婚したのにすれ違いの毎日で、「このままでいいのだろうか」と悩み、日勤で土日休みの不動産関係の会社に転職しました。

 さすがに不動産関係の会社ではマジックを売りにすることはできず、転職後はマジックとかなり疎遠になってしまって。地域のお祭りだったり、キャバクラだったりで、依頼をもらったときにたまにやるくらいになりました。練習もあまりできなかったので、このころは腕もすっかりなまってしまいました。