「もう夕方か。毎日晩ごはん作るの疲れたな…」そう思っている人は少なくないでしょう。大学生の息子を持つデュアルライターもそんな一人でした、しかし、「食とは、命とは」について考える「私の器を育む〜いのちを感じる食のワークショップ」に参加したことで、「食べる物は命である」ということを実感し、ごはん作りの見方が変わったのだそう(詳細は、「他者への料理作りで知る『食べ物は命』ということ」)。「でも毎日のこととなると、それだけではモチベーションが続きません」という彼女。今回はコミックエッセイ「晩ごはん症候群(シンドローム)」の著者フクチマミさんに直撃インタビューを行い、「日々の晩ごはん作りがどうしたら楽になるか?」について考えてみました。ごはん作りをラクにしてくれるものの見方や、具体的なノウハウをレポートします。

日常の晩ごはん作りは、さまざまな制限の中にある

 2017年初冬に熱海に近い禅寺で行われた「私の器を育む〜いのちを感じる食のワークショップ」は、ほかの誰かを思って料理をし合い、食べる際には作ってくれた人に感謝の気持ちを持つというプログラムでした。参加者は「こんな料理が食べたい」というイメージを提示し、別の参加者がその料理を作ります。

 参加者たちが使える食材は、事前に用意されたもののみ。境内に置かれた軽トラックの荷台には、丹那地方の新鮮で味の濃い野菜や果物、油揚げや豆乳、マカロニ、春巻きの皮、調味料が載せてあります。色々な食材が用意されてはいるものの、献立に合わせて買い出しに行くわけではないので、想定していた材料が使えないということも起こります。

地元でとれた味の濃い野菜、体にやさしい食材や調味料が積まれた軽トラック
地元でとれた味の濃い野菜、体にやさしい食材や調味料が積まれた軽トラック
使える調理器具も、スペースも限られている。試行錯誤しながら料理を進める
使える調理器具も、スペースも限られている。試行錯誤しながら料理を進める
その料理は、自分のためではなく「こういうものが食べたい」とリクエストした人のため
その料理は、自分のためではなく「こういうものが食べたい」とリクエストした人のため

 おしるこを作りたかったチームは、「あんは、小豆なしでできる?」、里いものスープを作りたかったチームは、代わりにジャガイモを使うだけで里いものイメージが表現できるか? 軽トラックを囲みながらそんな相談が飛び交いました。

 制約があったのは材料だけではありません。「1時間20分」という時間制限も設けられました。この中で、食材の選択、メニューの検討、役割分担、実際の調理をこなさなければならないのです。

 このワークショップのファシリテーターを務めた志村季世恵さんは、参加者が食事を終えたあと、こんな話をしました。

 「材料、時間、料理のスキル、と色々な制約があるなかで、『誰かのためを思って』料理をするのはとても大変だったのではと思います。でも、『誰かのためを思って』作ったからこそ、作ってほしい人が思った以上のものができあがったはずです。食べた人がおいしいと感じたのは、作った人の思いが伝わっているからでもあるでしょう。

 最初に、食べたいものをメニュー名ではなくイメージで伝えるように指示があったのは、このためです。「メニュー名が先行すると、なぜその料理を食べたいと思っているのかという点を深く考えなくなってしまいませんか。『その料理は作れません』ということにもなりがちです。一番大切な『誰かのために料理する』ということを考えられなくなってしまいます」(志村さん)

 ここで筆者は思いました。いろいろな制約がある中で、誰かのためを思ってごはんを作る状況。これって、私たちが普段している晩ごはん作りと似ている! 晩ごはんの献立を決める時は、「上の子、サッカーの練習でお腹がペコペコだからガッツリ系がいるよね」とか、「でも、下の子はちょっとおなかの調子が悪いから重いものはちょっと」と、自然と家族のことを考え、メニューには「ガッツリ」とか「重くないもの」というイメージができてきます。メニュー名が先ということは少ないのではないでしょうか。さらに、「昨日、今日は買い物に行けていない」と冷蔵庫の中身とにらめっこし、9時に寝かせるためにはあと10分で晩ごはんを始めないと間に合わない、とタイムリミットも迫ってきます。

 もちろん、「今日は絶対肉じゃがの気分」「ママ、カレーにして!」など、メニュー名から決まることもあるでしょう。でも、家族の状況や材料、時間の制限の中で「今日はできるものはこれだ」とメニュ名ーが導き出されることが多いのではないでしょうか。

 私たちは晩ごはんを作る時には、無意識に家族のことを考えています。このワークショップで体験したことを日々行っていたのです。