震災をきっかけに離婚してしまったある夫婦のエピソード

 東日本大震災の後日談として、報道では多くの明るい兆しが伝えられました。「絆」という言葉が多く使われたことも記憶に新しいのではないでしょうか。しかしその反面、孤独死が増えたり、離婚をしてしまったり、友人や親戚などと疎遠になったなどの体験談が多く存在したのも事実です。

 私たちは、被災地の支援活動をしていた際、多くのショッキングな事実を目の当たりにしました。

 生後4カ月だった赤ちゃんを抱いて自宅で被災してしまったある母親は、夫の安否すら何も情報がないまま、夫の帰りを信じて待ち続けました。しかし極限の不安が襲い、精神状態は限界だったそうです。その母親は、誰かと行動を共にしたいと思いましたが、電気もテレビもエアコンもないまま、赤ちゃんと共に待ち続けました。幸いにも夫は無事で、自宅に戻ってくることができました。しかし、そのときは震災から数日も経っていました。

 その間、極限状態で過ごしていた妻は、帰ってきた夫にそれまで自分たちがどれだけ不安だったかということを強く当たってしまい、せっかく再会できたにもかかわらず夫婦間に大きな亀裂が入ってしまったのです。結局、私たちがお会いしたときには、すでに離婚されていました。

 妊娠中や小さな赤ちゃんを育児中、あるいは育児経験がある方は、自分の不安や我慢を夫に共有されていないと感じたとき、ナーバスになってしまう気持ちは痛いほど分かるのではないかと思います。その方は、続けてこう言いました。

 「日ごろから、非常時の細かいことをきちんと取り決めておけば、こんなことにはならなかったと思います」

 ではこの場合、どうすれば平和な日常を突然訪れた自然災害によって壊されずに済んだのでしょうか。一度、夫の立場になって考えてみたいと思います。

 自宅勤務以外の場合、夫婦共に職場が自宅から離れている家庭が多いと思います。夫は職場で被災し、急に携帯電話がつながらなくなるどころか、職場の混乱状態の中で普段の業務は一切できず、対応に追われていたことは想像ができます。そんな環境の中でも、家族の安否を真っ先に考えていたはずです。

 しかし、交通網はすべてまひ、帰路に就くのもままならない状況で、命からがら数日かけてようやく自宅にたどり着いたというのが実際のところでしょう。

 お互いの無事を心から喜ぶはずの場面で起こってしまった残念な結果になりましたが、どちらにも非はないのです。

日ごろのコミュニケーションが非常時にも生きる
日ごろのコミュニケーションが非常時にも生きる