日本社会の理不尽さをあえて体験させる
本来、中学で日本に帰国する予定でしたが、泉さんの体調不良や経済的負担を理由に、予定を少し早めて小学5年生で帰国。日本の小学校を卒業し、類さんはそのまま公立中学校に入学します。
日本に戻ることを嫌がっていた類さん。発達障害については、日本よりずっと理解が進んでいる米国のほうが、類さんにも泉さんにとってもラクな環境だったはずです。それでも、泉さんが日本の中学校にこだわったのは、大勢の帰国子女や、長く海外に在住している日本人を見てきたからでした。
「いくら日本語も英語も話せるバイリンガルでも、日本の理不尽な社会を知らないと日本ではやっていけない。結局、日本の会社なんかでは働けないと海外に出てしまう。類が大人になったときに日本で暮らすなら、日本社会の理不尽さを経験しておくことが必要だと思ったんです。それには、日本的な不条理が最もまかり通っている中学校の3年間を経験すべきだ、と」
先輩後輩の縦社会、髪形や制服といった意味のない校則。日本の中学校ならではの環境で日本社会の縮図を知ることが、日本で働くという選択肢につながるという判断だったのです。
実際、類さんは中学で周囲とうまくいかなかったり、一時的な不登校も経験したりします。それでも、今、日本の芸能界という特殊な世界で仕事をするうえで、中学時代に経験したことは類さんにとって多くの学びとなっていることでしょう。
<後編へ続く>
類さん0歳 泉さん24歳のときに英国人男性との間に類さんを授かるが、未婚のまま帰国し1994年、25歳で類さんを出産。帰国後、フリーの通訳として仕事をスタートする。
5歳 米国の小学校に入学させるために渡米。ニューヨークで母子二人暮らしが始まる。
8歳 類さんが発達障害の「ADD」と診断される。同時に泉さんも「ADHD」であると指摘される。
11歳 帰国。
12歳 日本の小学校を卒業後、そのまま公立中学校へ進学。一時的な不登校も経験する。
14歳 メンズファッション誌のモデルとして活躍。
15歳 高校受験に失敗し、通信制高校へ進学。
17歳 テレビでのタレント活動が本格化。
20歳 テレビで発達障害であることを公表し、大きな反響を呼ぶ。
(取材・文/工藤千秋)