今回のテーマは「ADHD(注意欠陥・多動性障害)」についてです。41歳になった頃に、自身がADHDなのではないかと気づいた武田さんは、経験談を講演会などでも語っています。そんな武田双雲さんの経験とともに、親はどのように子どもに接していけばいいのかといったアドバイスなどを4回にわたってお伺いします。

ケガは日常茶飯事で、『空気が読めない子』だった

日経DUAL編集部(以下、――) 武田さんは、ご自身がADHDであることを表明していて、体験をもとに講演などもしていますが、いつごろ分かったのでしょうか?

武田双雲さん(以下、武田) ADHDではないかと自覚するようになったのは、41歳くらいのときです。それまでは全くそんな言葉も知らなかったんですね。医師に診断されたというわけではないのですが、いろいろ調べてみると、自分はそうなんだろうと自覚するようになりました。

 小さい頃はとにかく、ケガが多い子どもでした。突発的に何か変なことをして血だらけになって何針か縫ったり。骨は7、8本折っていますね。3回目くらいの骨折時に松葉づえを買ってもらったのですが、松葉づえをつきながらまたケガをするっていう感じでした(笑)。

 とにかく、小中高とケガは日常茶飯事。僕は熊本育ちなのですが、例えば、目を閉じたままどこまで行けるかなってやったら、そのまま池や田んぼに落ちたり、壁にぶつかって血だらけになったりとか……、そういうことがよくありました。最初は母親も驚いていましたが、だんだん慣れてきたようです。何かあっても「死なんかったけん、よかたい!」って。

 それから、よく忘れ物をしました。片方ずつ違う靴下をはいて学校に行くこともあったし、中学生の頃なんて、歩いて登校したのに「自転車がなくなった!」って大騒ぎするとか。宿題があることは分かっているけれど、“宿題をしない”のではなく、“頭に入らない”といった感覚。次の日の予定も何度言われても忘れちゃう。今日が何曜日かも分からないし、今が国語とか算数など、何の時間なのかも分からずに切り替えられない、みたいな。みんなの時間の流れと自分の時間の流れがずっと違う状態で……。

 そういう意味では、今で言う「空気が読めない」子どもでしたね。明るい性格だったので、そんなふうには見えなかったかもしれないですけど、常に、今、何が起こっているのか、そんなことが分からないような子どもでした。

 幼少期の僕にとって良かったことは、両親が何も注意しなかったことです。何か身に危険が迫ったときに「危ない!」と言うくらい。それ以外のことでは何も言わないんです。成績のことであるとか、学校での振る舞いだとか、そういうことで怒られたことは一度もありませんでした。今、思えば自由にそのまんま育てられたという感じ。それが自分の育ちにとって良かったんだろうと思いますね。

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  • 「ちゃんとしなさい!」的親だったら歯車がどこかで狂っていた
  • 今思えば、中高生のときは幸せではなかったかも

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