痛みが発生してから半年以上経過 判明した病名は「多発性骨髄腫」

幡野 翌日、紹介状を持って大学病院に行ったところ、やはりガンであることには間違いなかった。でも、何のガンかは分からない。胸の腫瘍がどこから転移してきたかを探ったわけなんですが、11月末に大学病院に行って、すべて確定したのが年明けですから、ガンと分かってから病名が確定するまで大体1カ月かかりましたね。1月上旬、「多発性骨髄腫」という血液ガンであることが確定しました。

―― どのような検査をされたのでしょう?

幡野 背骨に太い針を刺して腫瘍細胞を検出しました。あのころは5分間横になるだけでも涙が出るほど痛かったので、「横になって検査します」と言われたとき「それ何分間くらいかかりますか?」と聞きました。「30分ぐらいですかね」「それ無理ですよ」という感じでしたね。

 あのときは結構強めの鎮痛剤を飲んでいたんですが、それでも痛くて。確か1度に2錠飲む鎮痛剤だったんですが、勝手に6錠とか飲んでいました。それぐらいしないと痛みが取れなくて。副作用も強かったのですが、そんなの可愛いものでした。「俺、1回に6錠とか飲んでますよ」と医者に伝えて、量を増やしてもらったりもしました。

 検査の内容に話を戻すと、背骨に針を刺して、胸の腫瘍が悪性か良性かを調べて、その後、また骨髄液を取って状態を調べるんです。それで何のガンかが2択に絞られた。「多発性骨髄腫」か、「悪性リンパ腫」か。悪性リンパ腫も大変なガンですが、助かる確率が高い。一方、多発性骨髄腫はまず助からない。今、新薬が出ていますが、基本的には治っている人がいないんです。

 なので「悪性リンパ腫だったらいいな」という希望がありましたが、残念ながら「多発性骨髄腫だ」と言われました。うちの母は元・看護師。ガン治療の現場にいたのは20年前ぐらいのことですが、20年前だと多発性骨髄腫はとんでもない死に方をしたそうです。最期に緑の液体を吐いていた、と。嘔吐して胃液を吐いて、その次に、緑色の胆汁まで吐いてしまう。そのぐらい、多発性骨髄腫で死ぬ人はすさまじい死に方を遺族に見せつけてしまう。3年ぐらい前に多発性骨髄腫で旦那さんを亡くされた方にお会いしてお話を伺ったのですが、その旦那さんもそのような亡くなり方だったそうです。骨がスポンジのようにスカスカになってしまうので、横になって寝ているだけで骨折していくんです。「俺もそうなるのか」と思いました。

 血液ガン患者は一般的に血液内科にかかります。胃ガンや乳ガンなどの固形ガンは腫瘍内科にかかります。腫瘍内科だと手術もしますから、麻酔科や外科、腫瘍内科など、色々な科がチームで治療に当たります。でも、血液ガンは治療を血液内科だけで行います。その結果、血液内科の独壇場になってしまう。血液内科の先生方って、抗ガン剤が効くと信じて疑わない方がほとんどで。患者がもう限界まで来ているのにギリギリまで治療で引っ張って、緩和ケアに送らない傾向にあります。もちろん打てる手は打ちますが、先々僕もどうしようかな、と考えているところです。

* 次回は、幡野さんが余命について医師に言われたことから伺っていきます。

(取材・文/日経DUAL編集部 小田舞子、撮影/稲垣純也)

幡野広志
写真家・狩猟家
氏名(しめい) 1983年、東京生まれ。2004年、日本写真芸術専門学校中退。2010年、広告写真家の高崎勉氏に師事。「海上遺跡」Nikon Juna21 受賞。2011年、独立、結婚。2012年、エプソンフォトグランプリ入賞。狩猟免許取得。2016年、息子誕生。2017年、多発性骨髄腫を発病。2018年9月、『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる』を出版。11月2日(金)~15日(木)、ソニーイメージングギャラリー銀座にて、幡野広志写真展「優しい写真」を開催予定