青年団を主宰し、世界的に活躍する劇作家・演出家の平田オリザさんは、大阪大学COデザインセンター特任教授、東京藝術大学COI研究推進機構特任教授、四国学院大学客員教授・学長特別補佐など様々な場所、形で教育活動に携わっています。
 学校選びや学ぶ環境、あるいは親の心構えなど、今の子どもたちが20年後、生き抜くための力を身に付けるために必要な「教育」について、平田オリザさんと考えていく連載、1回目では教育改革について、日本の子どもたちの学力についてお話しいただきました(「平田オリザ 教育改革で小中学校はパニック状態」)。
 2回目である今回は大学の入試改革がうまくいかないのはなぜなのか、そして親がそうした大学でも「一流」であれば入ったほうがいいと思ってしまう「強迫観念」について考えていきます。

 前回お伝えした通り、教育に関しては誰もがもっともらしい「良いこと」を言いやすいため、「2020年の教育改革」は文部科学省の中枢がリーダーシップを取れないまま「船頭多くして船山に上る」の状態が続いています。

 文科省は各大学に対し大学入試を大幅に改革して、これまでのような知識偏重の入試ではなく、思考力や判断力、できれば主体性、協働性を問うような試験をしてほしいと望んでいます。ところがここに、大学側は全く追いついていない。特に大きな大学ほど追いついていないんです。

 理由は皆さん、なんとなく分かるのではないでしょうか。そう、組織が大きくなるほど、利権が絡んで改革しにくくなる傾向があるんですね。

 今年5月に起きた、「日本大学アメリカンフットボール部の悪質な反則問題」は、ある種の象徴的な出来事です。

大学経営は、高度経済成長期の学生数が増えていたときのまま

 あの悪質タックル問題で、日大は5月末にようやく第三者委員会を設置。7月に内田正人前監督と前コーチの指示によるものと事実認定され、懲戒解雇処分。その際の第三者委員会による最終報告書では、内田前監督がアメフト部の他、全ての運動部を統括する「保健体育審議会」の事務局長を兼任していて、独裁体制を可能にしていたと指摘されていました。権力が集中していたわけです。

 大規模な大学では、こうした権力の集中が起きやすい。世間から見たら「考え方がおかしいのでは」という人たちでも、教育機関で理事長になれてしまう、経営できてしまうというのが日本の教育の闇です。

 特に私学は「経営」的に規模の大きさを求めてしまう。人が集まれば集まるほど、利益が上げられるわけですから。だから人気学部は定員をどんどん増やすということをしてきた。これは日本の縮図でもあり、いまだに、高度経済成長期の学生数が増えていたときのままなんですね。

 経営の感覚がそこから抜け出せない。ダウンサイジングしにくい構造になっているんです。いきなり教員の数は減らせないことも、これを助長しているでしょうし、それがまた、権力の集中を許してしまう。結果、トップにいる人間は自分たちの権力を維持するために、規模を大きくするあるいは大きさを維持することに力を注ぐようになり、それ以外に生き延びる道がなくなってしまっている大学が多いわけです。

組織が大きくなるほど、利権が絡んで改革しにくくなる傾向があるといいます
組織が大きくなるほど、利権が絡んで改革しにくくなる傾向があるといいます