おんぎゃ―、おんぎゃーと泣くことしかできずに人生の歩みを始めた赤ちゃんが、最初に食事をしたとき、ただ何かを食べている姿を見るだけでうれしかった。そのはずなのに、いつしか当たり前になってしまう。
確かに受け取ったはずの喜びや感動が、なぜか日常に埋もれて親がピリピリし始めて。そのイライラに、子どもは「なんで生まれてきたんだろう?」と自分を責めてしまうかもしれません。
「子どもという存在自体」を心配するようになった
心が柔らかい子どもが、「ぼくなんて、私なんて…」と自分を否定するのはちょっとしたことです。リンクを連れて公園で遊んでいても、体中にトゲが生えたように攻撃的になっちゃっている子どもに出会います。
きっと本当はとっても優しい子で、心が敏感なゆえに大人の態度をそのまま取ってしまっているんだろう。そんなふうに、育児セラピストの授業でいろいろ習ってから、「子どもという存在自体」にもあれこれ心配しちゃうようになりました。
あなたのことが本当に大切で、本当に大好きなんだよ。それを忘れずにいるだけじゃなくて言葉にする。ぼくも、面と向かってしっかり伝えていきたい。
「○○ができない」「○○が苦手」とか、まずはどうだっていいんですよ。取るに足らないことです。
目指しているお父さん像、ですか?
ロールモデルみたいな存在は、ぼくは全然、いないんですよね。もともと道なき道を好んで歩きたいほうですし(笑)。
子どもがこうやって健康で、笑って、元気に過ごせることが幸せ。手の中にある幸せを、一つひとつかみ締めてリンクと過ごしていきたいですね。
取材・構成/平山ゆりの、バナー撮影/加藤 康、インタビュー撮影/坂齋清