僕がこうはっきりと考えるようになったのは高校生から。そもそも僕は、物心ついた時から、集団になじめませんでした。人と同じであることを望まれる同調性の意識に違和感があって。小学校入学前のランドセル選びで、「なんで黒色しかないの?」と聞いて親を困らせたと聞きました。自分で水色のランドセルを選んだ記憶があります。勉強机を買ってあげると親に言われたときは、「勉強しないからいらない!」「僕、スーパースターになるから!」と返していたとか(苦笑)。

 小学生でメイクをばっちりしていたり、ジャスティン・ビーバーのファッションをまねたり……。6、7歳から既に自分の「好き、嫌い」がはっきりしていたんです。

 ところが中学生になって、「協調性」という大きな壁が現れたんです。

孤立したくないから自分にウソをついたのに孤独感が増した

 私服だった小学校生活から制服に変わり、先輩後輩の上下関係で目立つと目の敵にされるなど、個性を閉じ込めようとする圧力をいろんな方向から感じました。幼かった僕は、「個性を出せていないことにストレスを感じている」という自分の状態を的確に言葉にすることはできず、なんだか楽しくない、何かがかみ合わない、とモヤモヤする毎日でした。

 違和感を覚えながらも、友人の中で孤立するのが怖かったので周囲に合わせました。声を低くしてちょっと乱暴なしゃべり方に変えてみたり、ヤンチャなグループとつるんだり。本心ではしたくないのに、自分を守るために自分を偽りました。

 でも、自分を偽った状態でできる友達は、ウソの友達関係なんですよ。孤立したくないから自分にウソをついたはずだったのに、孤独感は増すばかりでした。

 そんな状態のまま過ごした中学3年の時でした。つるんでいた友人が若気の至りを超えた悪事を起こしたんです。ハッとしました。自分は一体、何をしているのだろう。一緒にいても心地よくないヤツらと楽しそうに振る舞っている。自分を大事にしない状態で、友達同士のまね事をして何になるんだろうって。