海外に転勤した夫に付いていく妻は、ちまたでは「海外駐在員の妻=駐妻(ちゅうづま)」と呼ばれます。では、妻の転勤に付いていった夫は「駐夫(ちゅうおっと)」――? 妻の米国への転勤を機に大手メディアの政治記者を休職し、「駐夫」になることを選択、駐夫&主夫生活を送った小西一禎さん。コロナ下の米国での生活を経て、2021年春に帰国しました。妻の赴任が当初予定よりも延び、休職期限の3年間を超えることになった駐夫はどんな選択をしたのか、連載番外編としてお届けします。

3年3カ月の「駐夫」生活が与えた変化

 「給食って、すごく温かくて、おいしいんだね」

 駐夫として3年3カ月に及んだ米国生活を終え、2021年春、無事に帰国しました。2017年の渡米時、5歳、3歳だった長女、長男はそれぞれ小3、小1に成長。初めての日本での学校生活にもすっかりなじんでいます。通っていた米国の現地校では提供されなかった学校給食を堪能し、先日は運動会や遠足を楽しみました。夫婦とも、学校への適応を最も不安に感じていましたので、ひとまずホッとしているところです。

 永田町を駆けずり回っていた私が、「やはり、家族は一緒にいたほうがよい」という思いで、大手メディアの政治記者を45歳で休職(参考記事:妻の米国転勤で“駐夫”に 「家族は一緒に」が結論)。「海の向こう」で見たもの、聞いた話、経験したことは、そのすべてが新鮮で、これまでの自分の価値観を大きく揺さぶり、激しい変化を与えてくれました。それだけでも「駐夫になったことに後悔はない」と言い切れます。

 桜満開の日本に降り立ち、まず感じたのは「人々が礼儀正しく、どこに行ってもきれいな国」ということでした。入国する人はすべて、空港で新型コロナウイルスの水際検査を受けなければいけませんでしたが、関係者は一様にお辞儀で迎え入れてくれました。空港内の通路には、ゴミ一つ落ちていませんし、空港を出ても道路が、美しく舗装されています。運転マナーも「上品」ですよね。

 世界でも類を見ないほど、コロナ感染が拡大した米国で力を合わせて何とか生き抜いた家族4人を待っていたのは、「お帰りなさい」「お帰り」という言葉でした。日本にいる時は何気なく使っていましたが、日系帰国便の客室乗務員を皮切りに両親、親族、友人・知人から声を掛けられると、語感が醸し出す温かみに「帰ってきた感」が増しました。

妻子を置いて帰国して復職するか、退社するか

 私が活用した「配偶者海外転勤同行休職制度」の期限は3年間でした。妻の赴任が当初予定していた2年を超え、2020年11月末、私の休職期間3年は満期となり、決断を迫られる局面を迎えました。3年間ものブランクがある以上、政治記者として復職するなら、時短勤務ではなくフル稼働したかったため、ワンオペとなる子連れでの帰国はあり得ませんでした。

 「単身帰国して復職するか」それとも「退社するのか」。米国滞在が3年目に入ってからは、自分のキャリア形成について考える時間が以前よりも格段に増えました。

コロナ下で閑散としたタイムズスクエアを眺める子どもたち
コロナ下で閑散としたタイムズスクエアを眺める子どもたち