海外転勤は妻の長年の夢だった、しかし……

 10年前に妻と結婚した際、家庭に入るのではなく、仕事を続けてほしいと伝えました。その時点から「キャリアは夫婦で一緒に重ねるもの」との意識をお互いずっと抱いています。

 外資系エアラインで各国を飛んでいた勤務歴もある妻は、以前から「海外で働きたい」「海外に住みたい」との思いを強く抱いていました。実はもともと、私自身も海外勤務を志望しており、妻は応援してくれていました。しかし、私の国外転勤の可能性が低くなった時点で、「それなら、私が行くわ」と、まるでエンジンを吹かしたように、猛烈に働き始めました。

 そして、「本当にアメリカに行けるかもしれないよ」と妻が私に伝えたのは、昨年の年明けぐらいだったでしょうか。私自身、海外勤務に憧れていましたから、「おう、いいじゃん。頑張れ。付いていくから」と二つ返事で答えました。ただ、自分のキャリアうんぬんのことを深く考えないまま、軽い気持ちで答えたというのが事実です。妻の会社で、既婚女性が海外赴任した例がないことを知っていたのもあり、妻の海外勤務が実現するとは夢にも思いませんでした。その一方で、妻の希望を何とかかなえてあげたいという思いはありました。

泣く泣く退職し、同行している「バリキャリ女性」

 私の会社には、こんなときのために「配偶者海外転勤同行休職制度」という休職制度があります。

 この制度は、優秀な人材の退職を防ぐため、国家公務員で2014年に導入されたのをきっかけに、民間にも広がったもので、私の会社には同じ年の6月に取り入れられました。昨年5月には、期限が当初の2年から3年に延長され、1年更新で利用が可能です。

 他業界のことはよく分かりませんが、メディアでも、休職制度がない会社がまだ多く残っています。夫の海外赴任を受け、泣く泣く退職し、同行している元メディア勤務の女性知人も複数います。子どもがアメリカで通っている幼稚園のママたちにも、日本で経験を重ねてきた「バリキャリ女性」が数多く見受けられます。いずれ、こうした女性のキャリア形成の話は書くつもりですが、休職や育休、退職とケースは様々ながら、多くの悩みを抱えながら、駐妻生活を送っています。

3歳、5歳を抱えて異国でワンオペ育児ができるか

 沖縄旅行から東京に戻り、真剣に思い悩みました。自分自身の思いと、妻のキャリア形成、子どもの将来などを考えながら、メリット、デメリットを勘案しつつ、何が幸せで、ベストな選択かということを考えました。

 想定ケースは、(1)妻だけ渡米 (2)妻と子どもの3人が渡米 (3)私も含めた家族全員が渡米、の3つ。はなから、妻の頭には子どもを連れて行かないとの選択肢はありませんでした。妻中心で育児をしてきたため、ママと離れ離れになることは、子どものためにもあり得なかったのです。これには、私も反論できませんでした。長時間労働を余儀なくされている私が、妻不在でワンオペ育児をするのは恐らく無理だったでしょう。もし職場に配置転換を申し出て、異動したとしても、全くできる自信がありませんでした。よって、(1)は早々に消えました。

 妻は(2)のケースを覚悟していました。私が直前になって嫌がった場合、キャリアの中断を私に無理強いして、納得しないまま一緒に連れて行くのは申し訳ないとの思いが妻にはありました。一方で、長時間勤務後に疲労困憊で帰宅しても部屋は真っ暗で、子どもとめったに会えない暮らしに私自身が耐えられるかという心配もあったようです。

 5歳、3歳の子どもを抱え、妻が異国でワンオペ育児をできるのかという現実的な問題もありました。異国での生活立ち上げにも相当の苦労が予想されます。ベビーシッターを連日雇えば何とかなるのかもしれませんが、我が子にとって、どうしてもそれがよい選択とは思えませんでした。

 では、(3)私も含めた家族全員が渡米、はどうか。日々移り変わる政治取材現場の最前線から離れるのは正直、怖かったですし、事実上欠員となるため、同僚の負担も増えます。入社同期からもどんどん取り残されかねません。「男子たるもの」といった“昭和男子的なプライド”を捨てて、主夫になれるのかという懸念も当然ありました

「やはり、家族は一緒にいたほうがよい」というシンプルな決断

 しかし、考え方を変えてみれば、これは新たな環境への挑戦です。これまでの人生では考えられなかった経験を海外で積むことは、人間的な幅や視点を広げるチャンスでもあります。日本の産業構造はすさまじいスピードで変化しています。人生100年時代を迎え、今後を正確に予測するのは誰しも不可能です。『ライフ・シフト』の著者、リンダ・グラットン教授は、超高齢化社会を見据え、個人が主体となってキャリアのステージを積極的に変えていくことを提唱しています。

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