「妻の転勤の可能性を初めて聞いた時は、私自身の今後のキャリア形成に悩んでいて、付いて行くべきだと感じました。同行休業制度があることを知っていたので、むしろ『内示が早く出ないかな』と心待ちにしていました」。休業なので帰国後も戻って働けることは約束されており、キャリア喪失にはつながらないと判断しました。

 休業中の就職ですから、兼業になります。兼業OKの企業が続出している日本社会ですが、公務員の兼業は原則禁止です。申し出を受けた役所の人事担当者は人事院の見解に従って、兼業を認めるかどうか判断しました。中でも、最もハードルが高かったのが「兼業先からの報酬額が、生活費などに必要な範囲を超えるときは、兼業を認めない」との文言です。「極めてあいまいな内容ですし、金額の多い少ないで兼業を認めるのは、職業差別ではないかと感じます」

 また、役所に籍を置いて同行休業制度を活用しているため、毎月6万円ほどの社会保険料を納付書で支払う必要があり、日本にいる母親に代行してもらっています。休職して海外にいるのが前提の制度なのに、日本の銀行窓口に出向く必要があるという、何とも矛盾した仕組みです

最初は夫が単身で、後から娘と妻たちが合流

 妻が米国同行をためらったのは沢村輝明さん(仮名、30代後半)です。妻の会社には休職制度はありません。仕事に大変なやりがいを感じていて、仮に同行したら帰国後に同様の仕事を見つけられるか、妻は大いに不安を抱いていました。輝明さんもその意志を尊重し、話し合いの結果、子ども2人の育児を妻に任せて、単身で渡米しました。

 その後、小学校に上がったタイミングで、長女が輝明さんと一緒に米国で暮らし始めました。「米国の上司とも相談し、私のワンオペのめどが立ちました。妻とは何度も話し合いましたが、家族は一緒にいるのがやはりベストだと思います」。妻が日本で働きながら2人の子どもの面倒を見ることで、やはり大きな負担をかけてしまったと言います。小学校と保育園では、開始・終了時刻が異なるため、さらなる負担となることも長女の渡米を決断した理由の一つでした。

 長女の成長を間近で見られる喜びの半面、仕事を早めに切り上げて迎えに行く必要もあり「仕事に使える時間は劇的に減りました」。そして、渡米を逡巡していた妻も仕事を辞め、秋からは家族4人での生活が始まることになりました。日米をつなぐテレビ電話で、双方の今後のキャリア形成や育児方針をめぐり、時には怒鳴り合いをしていたという沢村さん夫妻。妻の決断について輝明さんは「申し訳ない思いと、ホッとした思いの両方があります」とした上で「米国でも是非働いてほしいと思っていますし、帰国後のキャリア形成もできる限りサポートします」と日米両国で共働きを続けていく姿勢を見せています。