「待つこと」ができるように

 米国に来てから、ふとしたきっかけで、一時期乱読していた育児本、教育本のうちの一冊を思い出しました。その本の指摘に従い、子ども特有の感覚、考え方を踏まえ、子どもの自主性、自分でやろうとする気持ちを尊重するようにしています。

 褒めるというよりは、自分が親から認められているという意識、肯定されているという意識を植え付けるやり方でしょうか。例えば「〇〇しちゃダメ」と頭ごなしにする言い方は極力避け、「〇〇したら、どうなるかな。パパは嫌だな」などと立ち止まって考えを促すようにしています。ただし、冒頭で述べたように、平日の朝だけは例外ですが……。

 「パパ、見ててね」と言われれば、でんぐり返しやあやとりをする様子を見守ります。ひらがなやカタカナを使った手紙や文章を書いてる時や、英単語を書きつづっている際、私が間違いに気付いても、書き終えてから「よく見てみな」と指摘するようにしています。子どもが自分で気付いてくれると、うれしいものです。

米国という国が持つおおらかさも影響

 なぜ、日本にいたときと違って、待つことができるようになったのか。大前提として、自分自身に余裕があり、時間に追われるような生活をしていないことが大きいと思います。加えて、日本のようにあくせくしていない、米国という国が持つおおらかさも影響しています。

 米国人はとにかく、褒めることに抵抗がありません。といっても、容姿を褒めるのではなく、持ち物や服、家族、時にはライフスタイルに至るまでが対象です。

 褒められても、素直に「ありがとうございます」と返すことなく、「いえ、そんなことはありません……」と、まずは自らを卑下し、過小評価するのが普通であり、礼儀とされる日本の環境で育ってきた身には、実に新鮮です。

 渡米早々、運転免許の学科試験を受けるために、州の施設に行った時のことです。米国人のみならず在米日本人にも評判が悪い、上から目線、お役所仕事そのものの施設なのですが、終始ムスッとしていた窓口対応の年配男性職員が、私のカバンを見るなり「そのカバンいいね。どこで買ったんだ」と、突然相好を崩し、思わず面食らったことがありました。

 以前も書きましたが、休職し、米国に帯同してきたという私の選択についても、大いに褒め称えてくれます。否定ではなく、肯定してくれることで、どれだけ勇気づけられたことでしょう。

 もともとかなりのマイナス思考に流れがちな厭世主義者の私ですが、このように自己肯定感を徹底的に高めてくれる米国人の褒め方を渡米直後に経験したことにヒントを得て、子育てに応用しています

過干渉子育てはあるのか

筆者がクリスマスディナーで作ったローストチキン
筆者がクリスマスディナーで作ったローストチキン

 米国人の知り合いに尋ねてみると、米国家庭では、やはりというか、伸び伸びと育てているようです。共働きであろうと、なかろうと、仕事が終われば自宅に帰って家族と過ごす人が多いため、子どもと過ごす時間が圧倒的に長いのです。時間に余裕があるため、先回りをする過干渉を耳にしたことは今のところありません。

 また、米国の寝かし付けは、日本のように添い寝ではなく、子どもをベッドに置いて部屋を後にし、自然に寝るのを待つやり方です。乳児の時点で既に、親は子どもを待つことを主眼に置いています。寝るという行為ひとつとってみても、いい意味で子どもの自主性に委ねているのかもしれません。

 ニューヨークの地下鉄に乗っていて、乳飲み子が泣き叫んでいても、周囲の乗客は無関心か、「It’s OK」などと声を掛ける様子をよく目の当たりにします。日本で、私や妻が車内でされたようなせき払いや舌打ちは、まだ聞いたことがありません