時に迷い、立ち止まりながらも、自分流の働き方や幸せを模索している働くママたち。今回登場するのは、総合情報サービス企業の事業本部で総合職として働くTさん。多感な時期に母親をがんで亡くしたことによって、人生が大きく変わるという経験をするなか、母が残した「働く母親になりなさい」というメッセージを胸に歩んできました。Tさんを支えた職場環境と今後の働き方の課題などについて話していただきました。

(上)「仕事を続け、働く母親に」亡き母からのメッセージ
(下)育児にPDCAはいらないと気づき、生まれ変わった ←今回はココ

◆今回登場するワーママ:Tさん
年齢:40歳
これまでの仕事:総合情報サービス企業の一般職→同社の総合職に
現職:事業本部のマネジメントスタッフ
住まい:東京都
子どもの年齢:3歳の男の子

◆働き方に迷った理由
キャリアを追い求めることと、「理想」の育児との両立

◆「わたし流」の働き方をかなえるためにした選択
選んだもの… 働く母親になること
諦めたもの… とくにない(出産で、⾃分⾃⾝も⽣まれ変わるくらい価値観が変わっ たため、⺟親になる以前との⽐較ができない)

母親になって再び変わった人生観

 念願の母親になった私ですが、息子の新生児期は人生最悪の日々でした。出産から回復しない身体で夜泣きを繰り返す息子と向き合う、朝も昼も夜もない毎日。当時の私は長年仕事生活にどっぷり浸ってきたおかげで、何事も「計画・実行・振り返り・改善」をしっかり行い、同じミスを繰り返さないという思考回路と行動パターンがすっかり染みついていました。そのため、たびたび夜泣きをする息子相手に、「次回はどうやってこの事態を避けるべきか?」と、真剣に再発防止策を考え悩みながら長い夜を過ごしていました。

 でも、育児ってそういうものじゃないですよね。産後2カ月ほどたったとき、「子どもを相手にしているときはPDCAを回さなくてもいいんだ!」ということにやっと気がついたのです。「子どもは日々成長していくから、今日と同じ一日など二度とやっては来ない。環境条件は日々刻々と変わっていく。予想外の出来事が起きてもしっかり受け止めていく覚悟を持つことの方がずっと大事だ」。そんなことに気づくにつれ、それまで仕事を通じて築いてきた価値観が大きく崩れていったのです。まるで私自身が生まれ変わる感覚でした。

 その後も、生まれてきたのが男の子だったこともあり、わが子の発想や欲求、行動が私自身の興味や幼少期の記憶とは異なることに繰り返し驚かされるなかで、それまで自分が持っていた価値観はどんどん崩されていきました。

 職場復帰の際には、夫が単身赴任というワンオペ生活のなかで、自分が働きながら「息子を幸せな明日に連れていく」というビッグプロジェクトはとても私一人の力では達成できないことを痛感しました。完璧主義で何でも自分でやってしまいたい性分は捨て、「差し伸べてくれる手はすべてつかもう」という覚悟で、父や妹、夫の実家、理解のある職場や上司など、なりふり構わず周囲の力を借りているうちに、出産前よりもむしろ、公私共に生きやすくなったように思います。今では保育園を含め、私たち親子を取り囲む環境のすべてに感謝しています。

 こうして、母を亡くした時、自分が母親になった時と、大切な出会い・別れの場面で二度も大きな人生観の変化を経験したおかげで、育児生活はずいぶん楽になっているかもしれません。