時に迷い、立ち止まりながらも、自分流の働き方や幸せを模索している働くママたち。今回登場してもらうのは、教育機関に勤めるFさん。結婚後12年間、専業主婦として子育てに専念してきましたが、2年前に離婚したことにより、フルタイムで働くようになりました。そんなFさんのこれまでの道のり、そしてシングルマザーとして働く今について話してもらいました。

(上)12年ぶりの仕事で生きたのは、主婦生活で培った能力
(下)離婚して実感 働けるのは子どもたちの支えあってこそ ←今回はココ

◆今回登場するワーママ:Fさん
年齢:41歳
これまでの仕事:金融機関→専業主婦→教育機関でパート勤務→教育機関の職員
現職:教育機関の職員
住まい:首都圏
子ども:中1の男の子と小5の女の子

◆働き方に迷った理由
離婚

◆「わたし流」の働き方をかなえるためにした選択
選んだもの… 離婚し2人の子どもを育てていくこと
諦めたもの… 夫婦で家庭を営み続けること

エスカレートした夫のモラハラ

 夫婦関係の破綻の始まりは夫の昇進でした。昇進を機に夫は忙しくなる一方、副業がうまく回らなくなる状況で、ストレスをためていったのだと思います。家族に対するモラハラが始まり、徐々にエスカレートしていきました

 夫は息子のことは極端にかわいがり、私と娘だけをターゲットにするようになっていったのです。夫は気に入らないことがあると怒鳴るだけでなく、私が食事を作るたびに「まずい」と言い、家に帰ってくると「汚い」と真夜中に嫌がらせのように掃除機をかけることもありました。一番つらかったのは、矛先が娘に向いたときでした。ある日、夫の罵声で私が過呼吸を起こしたときのことです。私を心配する娘に対し、夫が「通報しないの? ママ死ぬかもよ。このまま通報しなかったら、お前のせいになるぞ」と言うのを聞き、背筋が凍りつきました。

耐えることがすべてではないと離婚を決意

 壊れていく夫と暮らすのはつらかったですが、私は保守的で「人並み」を重視する価値観が強かったため、「何があっても家庭を壊してはいけない」「今辛抱すれば、いつかは子どもたちの父親として元の夫に戻ってくれるはず」と必死で耐え抜こうとしていました。そして必死になればなるほど、かえって家庭の異常さが見えなくなっていきました。実家に相談したらすぐに「離婚しなさい」と言われると思うと相談などできず、子どもたちにも祖父母に家のことを話してはいけないと口止めをしました。次第にストレスから顔面神経痛になったり、自律神経の乱れから体中がむくんだりするなど、精神的にも肉体的にも限界となり、勇気を出して連絡した先は、匿名でかけられる公的機関の電話相談でした。

 目が覚めたのは、あるとき相談員から言われた「このままだと息子さんを第2の加害者にしてしまいますよ」という言葉でした。息子だけをかわいがり、何かにつけて娘と比較しながら息子を持ち上げるという夫の関わり方が続くと、息子が将来身近な人に対して夫と同じモラハラ的な態度を取る可能性があるということだったのです。「耐えて頑張ること」イコール「子どもを守ること」ではないと気づきました。

 実家の親にこれまでのことを伝えると「子どもたちを連れて帰っておいで」と言ってくれました。帰れる場所があることをありがたく感じました。