時に迷い、立ち止まりながらも、自分流の働き方や幸せを模索している働くママたち。今回登場するのは、「マッハバイト」「転職会議」などを展開するIT企業、リブセンスで広報として働くAさんです。Aさんは年少の息子と、2歳の娘、そして夫の4人家族です。病気や結婚に伴う地方への転居、不妊治療、そしてコロナ下での出産などと、さまざまな状況に向き合ってきたというAさん。その都度どのように納得できる選択をし、どんな努力や工夫をしてきたのでしょう。これまでの道のりと共に聞きました。

(前編)病気、地方転居…それでも諦めなかった成長できる仕事
(後編)つらい不妊治療中、仕事が支えに 育休中に副業開始 ←今回はココ

◆今回登場するワーママ:Aさん
年齢:40歳
仕事:リブセンス(新卒で大手証券会社→山形の証券会社→モバイルネットバンク設立調査株式会社(現auじぶん銀行)→広島の自動車ディーラー→リブセンス)
住まい:東京
子ども:年少の息子と2歳の娘

◆「わたし流」の働き方をかなえるためにした選択
選んだもの…自分の納得
諦めたもの…すべてに対する完璧なオペレーション(親になり、子どもの発熱などどうにも管理しきれないことがあることを実感しています)

 そろそろ子どもが欲しいと思うようになった頃、20代で治療をした卵巣のう腫が再発。再手術後に医師から「生理を繰り返すことが再発の原因になる」と言われ、積極的に不妊治療に進んだAさん。けれども不妊治療を受けていた日々は精神的にもつらい時間だったと振り返ります。

「またダメだったのか」と涙を流した日々

 タイミング法も含め4年間の不妊治療でもっともつらかったのは、生理が来てしまった時で「またダメだったのか」と涙が出ました。体外受精をスタートしてからは、通院のたびにかかる数万円から数十万円におよぶ高額な支払いもプレッシャーでした。大金を支払ったからといって、妊娠できる確証はない中で、次第に徒労感も覚えるようになりました。街で妊婦さんを見るたびに「どうして私のところには赤ちゃんが来てくれないの?」と鬱々とした気持ちにもなりました。

 また、時間・体力面では、仕事と治療との両立も大変でした。採卵までのホルモン投与期間は、会社のトイレで自己注射をすることもありました。さらに採卵の日は1日ゆっくり体を休ませる人が多い中、私は朝8時にクリニックへ行き採卵を済ませると、そのまま出社をしていました。一方で精神的には仕事があることのありがたみも感じていました。もし仕事がなく、治療とだけ向き合っていたら、とてもあの日々に耐えることはできなかったはず。そう思うと仕事のおかげで精神的にも経済的にも救われていると感じることもできました。