時に迷い、立ち止まりながらも、自分流の働き方や幸せを模索している働くママたち。今回登場してもらうのは、中国で生まれ育ち、大学卒業後来日して以来、日本で研究員としてのキャリアを切り開くと同時に、日本での育児を自ら選択してきた趙瑋琳(チョウ・イーリン)さん。小学校5年生と3年生の2児のママでもある趙さんに、これまでの道のりと、母としての今の在り方、息子たちの教育について思うことなどについて聞きました。

(上)チャレンジした分広がる 異国日本でキャリア築く選択
(下)40歳で転職 息子たちに身に付けてほしい国際感覚 ←今回はココ

◆今回登場するワーママ:趙瑋琳さん
年齢:41歳
これまでの仕事:来日しSEとしてIT企業に勤務→大学院で技術経済学を学び博士号取得→早稲田大学の助手・研究員→富士通総研(上級研究員)→伊藤忠総研(主任研究員)
住まい:東京都
子ども:小学校5年生と3年生の男の子

◆働き方に迷った理由
人生の節目ごとに「日本にとどまるか、中国に戻るか」という選択肢が浮上するため

◆「わたし流」の働き方をかなえるためにした選択
選んだもの… 仕事での達成感
諦めたもの… 苦手な家事

息子たちを育てるのはどこがいいか?

 日本で大学の任期付き助手というポストに就いている間に長男を出産。その後、思いがけず次男を妊娠していることが分かり、年子のきょうだい育児が始まった趙さん。


 年子の男の子を育てるのは楽しさもあった一方で、双子育児のような大変さもありました。中国には日本のような保育園制度がないこともあり、子どもが生まれると小さいうちは祖父母が一緒に孫を育てるのが通例です。祖父母にとって孫育ては当然の仕事でもあるのです。こうした背景もあり、息子が生まれると私の母も張り切って来日してくれました。母が来て手伝ってくれたこともあり、異国での育児で大きなトラブルはありませんでした。コロナで来られなかった今年を除き、母は長男誕生以来、毎年春になると来日し、3カ月間滞在して育児を手伝ってくれます。そして「中国に帰ってきたらもっと面倒を見てあげられるのに」と残念そうにつぶやいています。

 早稲田大学での助手の任期が終了した段階で再度浮上したのが、帰国するか、日本に残るかという選択肢。上海の大学からオファーもあり、帰国のチャンスではあったのですが、今回は私のキャリアだけでなく、家族のことも考えなくてはいけません。一番ネックになったのは中国国内の食品の安全問題や環境問題です。幼い息子たちを連れて今帰国して本当に安全か。夫の仕事だって東京の方がいい。何より私自身まだ日本でやりたいこともある。そんなことを整理した結果、このタイミングでも日本にとどまることを選択しました。

 この時に考えたのが、研究を一生の仕事にしていく上で、大学に比べて、実際の企業活動により近いポジションで、情報発信をしていくことができるシンクタンクに魅力を感じました。そして2012年、富士通総研にエコノミストとして入社しました。