時に迷い、立ち止まりながらも、自分流の働き方や幸せを模索している働くママたち。今回登場してもらうのは、中国で生まれ育ち、大学卒業後来日して以来、日本で研究員としてのキャリアを切り開くと同時に、日本での育児を自ら選択してきた趙瑋琳(チョウ・イーリン)さん。小学校5年生と3年生の2児のママでもある趙さんに、これまでの道のりと、母としての今の在り方、息子たちの教育について思うことなどについて聞きました。上下編の2本立てでお届けします。
(上)チャレンジした分広がる 異国日本でキャリア築く選択 ←今回はココ
(下)40歳で転職 息子たちに身に付けてほしい国際感覚
◆今回登場するワーママ:趙瑋琳さん
年齢:41歳
これまでの仕事:来日しSEとしてIT企業に勤務→大学院で技術経済学を学び博士号取得→早稲田大学の助手・研究員→富士通総研(上級研究員)→伊藤忠総研(主任研究員)
住まい:東京都
子ども:小学校5年生と3年生の男の子
◆働き方に迷った理由
人生の節目ごとに「日本にとどまるか、中国に戻るか」という選択肢が浮上するため
◆「わたし流」の働き方をかなえるためにした選択
選んだもの… 仕事での達成感
諦めたもの… 苦手な家事
9.11でアメリカ留学の計画を変更
中国東北地方の中心都市、瀋陽で生まれ育ちました。小さい時から勉強が得意な、いわゆる優等生でした。育った環境は日本とは比べものにならないほどの学歴社会でした。成績が良ければ、それだけ多くを得ることになります。幼い頃からトップの成績を維持するために100%の努力をするという完璧主義を徹底してきました。大学ではコンピューターサイエンス関連の経営情報システムを学び、卒業後はアメリカで学びたいと準備を進めていた矢先に、世界を震かんさせた、2001年のアメリカ同時多発テロ「9.11」が起きたのです。
学生ビザがおりない可能性が高くなり、渡米は諦めざるを得ませんでした。ただ、広い世界へ出てみたいという気持ちを捨てることができずに「どこか」に行きたいと思っていたとき、大学で日本の大手IT企業の求人広告を目にしました。採用になれば卒業後日本に渡り、働くことができます。日本のドラマや音楽を通して文化に親近感を抱き、隣国として経済などにも興味を持っていました。思い切って試験を受けたところ、採用に。それから大慌てで日本語の勉強を開始しました。
次ページから読める内容
- もう少し日本で頑張ってみたいと、大学院へ
- 研究を通じて世の中に貢献できる喜び
- 「あのときほどつらくない」と思い出すこと
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