プライベートでは28歳で職場結婚をしました。医師の夫は数年後、米国に研修に行くことが決まっていたので、出産はそのときにできたらいいなと、結婚後も仕事に全力投球していました。そして、結婚後5年目に夫の渡米が決まりました。

 当初から期間は2年と分かっていたので、休職という選択肢もありましたが、人事システム上、年に1度帰国して面談する必要があるなど面倒があったことと、米国で予定通り出産したら、しばらくは育児に専念するものだと思っていたこともあり、すっぱり退職を決めました。

 当時はまだ母親になった先のことをリアルに捉えておらず、仕事については、子どもが小学校や中学校に上がったらパートで看護の仕事をしようかな、くらいにしか考えていませんでした。そうして前向きに、逆に言えば深いことは何も考えずに、10年間勤めた職場を退職し、米国生活を楽しむぞとばかりに渡米しました。

夫と過ごせる週末だけが唯一の楽しみ

 夫に伴い行った先は米国のボストン。初めての海外生活を楽しみにやってきた私を待ち受けていたのは、想定外につらい2年間でした。

 看護師としての忙しくも充実した毎日から打って変わり、ボストンには自分が必要とされている場がありません。失ってみて初めて仕事のある生活がどれだけ自分に充実感を与えてくれていたかを知り、仕事を渇望するようになりました。

 心から話せる相手は夫以外におらず、自分が属するコミュニティーもありません。仲良くなった友人とランチや遊びに行っても、仕事をしている時と同じような達成感や充実感を得ることはありませんでした。

 言葉の壁もあり、必要なコミュニケーションが思うようにとれないこともストレスだったので、語学力を高めようと、安く参加できる教会が主催する英語教室に通いました。「安く参加」する必要があったのは、研究留学生の夫はこの2年間無給で、貯金を切り崩す生活だったからです。教室に週に何日も通いましたが、語学力が上達しているという自信を持てず、生活も金銭的にシビアで、自分の居場所を見つけられない中、次第に鬱っぽくなってきてしまいました。

 当時それでも何とか暮らせていたのは、唯一楽しみだった、夫と過ごせる週末があったからです。日本にいるときは二人とも忙しく、これだけ夫婦で向き合う時間がとれたのは初めてのことでした。

 下編では、Yさんの米国での不安な妊娠生活。そして帰国後、仕事を再開する中で、育児との両立に悩む現状について話を伺います。

写真はイメージです
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取材・文/日経DUAL編集部 須賀華子 写真/PIXTA