「それでも許さない」 二度と親には会わないと決意

 だからといって、10時間にも及ぶ叱責を頻繁に繰り返し、包丁を突き付けることすらあった母親を、許す気持ちはないといいます。手記には感情をたたき付けるように、こうも記されています。

 「母を、父を、許せというのでしょうか。葛藤の果ては『なんであんなひどいことができたんだ』という心の叫びで終わります。(中略)私は虐待によってつくられ、虐待とともに育っていきました。それはゆるぎない事実です」

 虐待は暴力の瞬間だけでなく、長期にわたって子どもを苦しめます。小野寺さんは前回の連載の取材で、虐待サバイバーにしばしば見られる「お祈りするカマキリ」の状態に、自分も当てはまると語りました。カマキリは助けを求めて祈るように、胸の前で鎌を縮めています。「しかし『助けになりたい』と誰かに言われても信じきれず、むしろ鎌を振り上げて傷つけてしまうんです」(小野寺さん)

 今回の取材でも、こう打ち明けました。

「両親は、怒りや叱責の言葉を一方的にぶつけ、僕の言うことには聞く耳を持ちませんでした。このため僕はまともに会話した経験が少なく、人とコミュニケーションを取るのがとても苦手です。今も、目に見えない生きづらさを抱え続けているんです」

 小野寺さんは両親の戸籍を抜けて分籍し、住所が親に分からないよう住民票の閲覧も制限しました。見ると恐怖すら覚えるという、本名からの改名も試みています。両親に二度と会わないという決意は、故郷を訪れてからも揺らぐことはありませんでした。

「過去は虐待に埋められてはいなかった」 前へ進む力に

 故郷を訪れた小野寺さんには、意外な発見がありました。

「自分の過去は、虐待で埋めつくされてはいなかった」

 確かに当時は、毎日のように虐待を受け、つらい思いをしていました。しかし暴力の合間には、つかの間であっても両親の愛情を感じた場面があり、幼い操少年が遊びの中でつかみ取った、楽しい時間がありました。こうした日常生活の記憶がよみがえる中で「『この町が私のふるさとなんだ』そう心の底から思いました」(手記より)

 生活にも変化がありました。「多くの人と会うのが怖い」と、夜勤中心の介護施設に勤めていましたが、日勤中心の施設に転職。介護が自分の進む道だという覚悟ができ、資格取得も目指すことにしたといいます。

 小野寺さんは後日、メールに次のように思いをつづりました。

 「昼の世界の怖さが、ないわけではありません。新しい職場はハードでしょう。ただ、前に進めたことがうれしいです。親の思いに振り回されず、自分の人生を生きる意味を初めて悟りました。故郷の町を訪ねたことが、きっかけだったと思います

取材・文/有馬知子 イメージ写真/PIXTA