虐待の背景に貧しさ 物をねだれない子ども時代

 アパートの様子からは、一家が経済的には、決して恵まれていなかったことがうかがえました。「この家から引っ越して数年後に、子どもを私立に行かせたんですね……」と、県内トップクラスの中高一貫校を卒業した小野寺さんは、感慨深げにつぶやきます。

 彼が幼い頃は父親の収入が少なく、給料の多くをパチンコなどで使ってしまうこともたびたびだったといいます。次第に父の金銭感覚は改まり、一戸建てを購入したものの、今度は住宅ローンが家計を圧迫しました。母親のやり繰りの苦労は、並大抵ではなかったことでしょう。

 「お金がない」と嘆き続ける母親を見るうちに、小野寺さんは物を欲しがらなくなりました。学校で使う文房具や、調理実習の食材すら、小遣いで買ったといいます。「普通」の家庭では、子どもが何のためらいもなく物をねだるのだと気づいたのは、ごく最近、知り合いの親子関係を見聞きするようになってからのことです。

 母親は、小野寺さんを叱る時も、頻繁に預金通帳を持ち出しました。中学受験の勉強で成績が振るわない時など、預金と借金の残高を見せ「私は家計が苦しい中で、こんなに頑張っているのに、あんたは何をしているの!」と責め立てました。父親の帰宅は夜遅く、母親に相談相手はいませんでした。

 貧しさや孤立など、生活上の困難がいくつも重なると、虐待のリスクは高まるとされます。小野寺さんは「親の置かれた環境を見て、思うところもありました」と話しました。

親の愛情、楽しかった思い出も

 小野寺さんはアパートの前に長い間たたずんだ後、周囲を歩き回りました。その中でよみがえってきたのは、虐待の記憶ではなく、楽しく懐かしい思い出の数々でした。

 よく遊んだという公園に行くと「昔は自宅からここまで、一直線に小道が伸びていて、父と追いかけっこをしたのを覚えています」。古びた理髪店の前では「母は決まって『ここの店主は、落ち着きがないから嫌だと言って子どもの散髪はしない。でも操君はおとなしいから大丈夫かもね』と言うんです」と、たわいのない親子の会話を思い起こしました。幼稚園に続く道では、生け垣にできたくぼみを「多分、この穴です」とうれしそうにのぞき込みました。「僕は『となりのトトロ』が大好きで、サツキとメイになりたいと思っていました。この穴をトトロのトンネルに見立てて、潜って遊びました」

 手記にも、次のようにつづられています。

「(誕生日やクリスマスのお祝いで)母と一緒に部屋の飾りつけをしました。折り紙で輪の鎖を作って100色ペンシルで好きなように絵を描いて(中略)その時の母は笑顔でした。あのひとときは楽しかった。母に愛された瞬間でした」「両親は貧しさに対する負い目から、私が親の顔色をうかがっていると感じたのか、よく『親をバカにしている』と怒りました。でも小さな私は両親が大好きで、バカにする気持ちなんてこれっぽっちもなかった」