「僕の体には『暴力は当たり前』という感覚が染みついています。暴力を使わないよう、常に意識して、感情を押し殺しながら暮らしているんです

母も虐待被害者、「あなたは私よりまし」

 母親に怒られるとき、必ず言われたのが「あなたが受けていることは、私に比べればまし」という言葉です。そして彼女が、自分の母親から受けた仕打ちの数々を延々と聞かされました。

 しかし小野寺さんの母親は祖母が死去したとき、小野寺さんの見ている前で「もっとお母さんと話したかった」と号泣したといいます。「結局、彼女はずっと、祖母に愛されたかったのだと思います」

 母親は近所の人付き合いや、PTA活動でももめ事を起こし、周囲から孤立しました。父親がパートを勧めても働こうとせず、趣味を作ろうにも不器用で上達しません。窓にいくつもカギを付けるなど、被害妄想が強い面もありました。虐待の傷と生きづらさを抱え、助けを必要としていたことがうかがえます。

 「何事もうまくいかなかった母親が、最後に依存したのが宗教と僕でした。だから僕が良い子でないと、我慢できなかったのでしょう」

 小野寺さんは、虐待の連鎖が自分にも及ぶのではないか、という思いも捨てきれずにいます。「自分が誰かに、母親と同じことをしていないかが気になります。まともな親になれるとも思えません

「一緒に幸せになろう」虐待サバイバーの言葉で楽に

 これまで周囲の人は、小野寺さんの話を聞いても「親になれば分かる」「誰にでもトラウマはあるよ」と言うばかりでした。親友にすら「思春期こじらせてるんじゃねえよ」と一蹴され、深く傷つきました

 しかし冒頭の講演会で、パネリストを務めた虐待サバイバーの男性は、涙ながらに発言した小野寺さんに「一緒に幸せになろうよ」と声を掛けました。「ほっとしました。同じ思いを味わった人が他にもいて、自分の苦しみは独り善がりではなかった、と思えました」

 小野寺さんは「両親に望むことは、もう何もありません」と話します。

 「母の気持ちを分析はできても、許すことはできません。二度と会いたくもないし話したくもない。父からは電話が来ることもありますが、機嫌のいい声を聞くと、これっぽっちも後悔していないことがうかがえて、ひどく傷つきます」

 もし、虐待を受けていたころの自分に会ったら、どんな言葉を掛けてあげたいですか。そう尋ねると、しばらく考えてから答えました。

 「子どもの僕は、虐待されているという事実を受け入れられないでしょうし、今の僕も虐待を『なかったこと』にはしたくない。ただ公園で遊んであげたい。せめて一緒にいてあげたいと思います

取材・文/有馬知子 イメージ写真/鈴木愛子