指突っ込まれ喉が血まみれに 日常生活を○×△で評価

 同じ頃、動いている洗濯機に入れられたり、母親の指を喉に突っ込まれたりしたこともあります。この時は喉を切って出血が止まらず「何回拭いても、ティッシュが血で真っ赤になりました」。

 母親はサクラさんを、かかりつけでない病院へ連れて行きました。医師に「なぜこんな場所を切ったの?」と聞かれても、母親ににらみつけられ「分からない」と答えるのが精いっぱいでした。

 受けたのは、身体的な暴力だけではありません。「エリートを育てる」という母親の方針で、布団を畳む、食事を完食する、英語の教材を解くなどのチェック表を作られ、◎、○、△、×で評価されました。◎や○がつくことはめったになく、△や×の時はたたかれました。テストで95点を取っても正座させられ、「見直しをしたのか」と責められます。「2回見直した」と答えれば「2回もしたのに何で間違えたのか」となじられました。

 言葉によるダメージも「暴力と同じくらい大きかった」と、サクラさんは言います。叱られ続けたことで、成人してからも失敗を極端に恐れるようになったためです。職場では完璧に仕事をこなそうと絶えず緊張し、同僚のミスも容赦なく指摘するといった時期が長く続きました。

 「自己肯定感が低過ぎて『褒められたい、認められたい』という感情すら抱けません。他人とのコミュニケーションもうまく取れなくなってしまいました」

 サクラさんが15歳の頃、ラジオで流れた虐待のニュースを聞いて、母親は言いました。

 「わが子にそんなことをするなんて、信じられない」

 「虐待の自覚がないんだ」と、サクラさんは絶望しました。

 「親は虐待の認識もないまま、閉じられた空間の中で暴力を振るう。子どもは親への恐怖心から、他人に打ち明けられない。家庭からSOSを発するのは、本当に難しいのです」

虐待目撃しフラッシュバック 周囲はすべて敵に見えた

 治療を始めた頃、サクラさんは駅で父親が男の子を殴る光景を目にし、フラッシュバックを起こしました。

 「お父さんが男の子にのしかかった瞬間から、翌日までの記憶がありません」

 虐待のニュースを見て、自分が報道されている子ども自身であるかのような感覚に陥ることもありました。

 知らないうちに部屋が片付いていたり、不用品が処分されていたりすることもありました。サクラさんの精神が、虐待の記憶を抱えきれず「解離」を引き起こし、複数の人格を生み出していたのです。「効率よく仕事をこなす人格と、虐待を受けた当時のままの人格が生まれ、切り替わっていたんです」

 サクラさんは母親に手紙を書き「虐待していたことを謝ってほしい」と求めました。しかし母親は人づてに「覚えていないけれど、あなたが言うならしたかもしれない」「サクラにごめんって言っておいて」というだけで、きちんとした謝罪はありませんでした。

 「『私の人生を狂わせておいて何?』と怒りの塊のようになりました。殺したいと思ったこともあります」

 「虐待が繰り返される社会を変えなければ」という危機感にも駆り立てられ、自治体や法務局、厚生労働省などさまざまな相談窓口へ被害経験を訴えました。しかしどこへ行っても、はかばかしい反応は得られませんでした。

 この頃、身長160センチ台のサクラさんの体重は35キロまで落ち、まともに歩くことすらおぼつかなくなりました。

 「一時は周りの人すべてが敵に見え、自暴自棄になりました。もしエネルギーがあったら、誰かを傷付けていたかもしれない。殺傷事件などのニュースも、他人事とは思えません」