不登校の子どもの居場所についてお届けしている本連載もいよいよ最終回。今回は共働きの親を持ち、五月雨登校を経て、小学校6年生の2学期から不登校を経験した近藤彩希さん(仮名)にお話を聞きました。現在26歳の近藤さんが語る言葉には、働く親への気持ちや「共働きの家の子」としてくくられたことへの違和感など、さまざまな感情が満ちていました。上下2本でお送りします。

(上)働く親に「ごめん」と言われつらい気持ち押し込めた ←今回はココ
(下)中学は登校ゼロで高校へ 留学を経て今は新米記者

気持ちより先に、体が学校への拒否反応を示した

中学は3年間行かないから、諦めてほしい

 近藤さんは中学校の入学式の日、両親にそう宣言し、地元の公立中学校には1日も通わずに卒業しました。通信制の高校を経てハワイの短期大学に留学。現在、新聞社で働きながらフラダンスの講師としても活躍しています。

 近藤さんが登校に不安を覚えたのは小学校6年生の2学期が始まる少し前の夏休み中のことでした。

 「もうすぐ学校が始まる」

 そう思うとなぜか体調が悪くなり、急に食事をとることができなくなったという近藤さん。やっと食べ物を口にしてもすぐ戻してしまう状態が続き、みるみる痩せていきました。

 わが子の異変に気づいたご両親は、すぐに娘を連れて病院へ。複数の病院を受診した結果、多くの医師がうつ病の一歩手前の適応障害と診断しました。

 ものが食べられなくなり、体力もなくなった近藤さんは、学校に行く・行かないを考える以前に、体調を戻すことに必死だったと当時を振り返ります。点滴による治療は2学期が始まっても続き、体調が戻ったのは2学期も終わりに近づいた頃でした。

 「たぶんああいうことがあったから、私は学校に行きたくないんだ

 近藤さんがそう自覚したのは、治療が始まって1カ月くらい経った頃でした。理由として思い当たったのは、いじめのこと。近藤さんは6年生になった頃から、一部の女子からいじめを受けていたのです。

 けれども近藤さんはそのことを誰にも打ち明けていませんでした。

 「誰かに言った時点でそれが事実になり、自分が『いじめられている子』になってしまう。それを認めたくないという気持ちでした。まわりからいじめられている子として対応されるのもしんどいなと思ったし、親も『いじめられた子の親』になってしまいます。そうなったら親にも申し訳ないと思いました」

 いじめのことは近藤さんの口から話されることはありませんでしたが、体調がよくなった頃、お母さんから『学校で何かあったの?』と聞かれたそうです。

 「母は私のかわりに学校に行ったとき、机の中に隠してあったいじめっ子からの手紙を読んだのだと思います。そこで両親はいじめに気づき、担任の先生と話し合いをしたようです。先生はいじめがあったことを知っていたそうです。私がそれを知ったのは、学校に行かなくなってから数カ月たった頃でした」

 担任の先生がそれに対処していたのかどうか、近藤さんには今もわかりません。手を差しのべようとしていたとしても、それは近藤さんに届いていませんでした。

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