助けてくれている人たちのために、何ができるのかを自問

 6年生の2~3学期は適応障害の治療に努めつつ、自分は今後、どうしていけばいいのかを一人で考えていたという近藤さん。

 学校を休んでいる間は家で一人で過ごしたり、週に2~3回、学童でお世話になった指導員の自宅で朝から夕方まで過ごしたりしていました。

 「指導員さんは2年生のときに私が学校に行けなかったことを知っていて、ずっと気にかけてくださっていたんです。その方は自宅で発達障害の子どもたちをサポートしていて、私は彼らと一緒に遊んだり、学習支援のための資料作りを手伝ったりすることもありました。このときに自分が誰かの役に立っているという思いを得られたのは、ありがたいことでした」

 両親や信頼できる大人たちに支えられ、近藤さんの思いは次第に「この人たちのために自分は何ができるか」という思いにシフトしていきます。

 「そのとき私が考えたのは学校へ戻ることではなく、自分や大事な人を守るためには自分が何で傷つき、何が嫌なのかを主張しなければいけないこともあるんだということでした。本当のことを言ったら、誰かを傷つけてしまう可能性がある。自分は人を傷つける人になりたくない。そんな気持ちがあって言葉に出さない選択をしていたけれど、自分が黙っていることは逆に私を助けようとしてくれている人たちを傷つけている気がしたんです」

 このままでは、親や学童の指導員さんにしてもらっていることが何の意味もなくなってしまう。自分の気持ちをきちんと吐き出して、次に歩き出すことが親や学童の指導員さんへの恩返しになる。そう考えた近藤さんは、言葉で伝える覚悟を決めました。

 そして、迎えた中学校の入学式の朝。

 「同級生が親と一緒に入学式に行く姿が見えて、『ああ、私にはこれもできないんだ』と思いました。と同時に、私は親に入学式に出る姿を見せてあげられないのかと思って、ワーッと泣いたんです。そのとき、学校に行くという選択肢を捨てたほうがお互いにラクだと直感しました。出勤前の忙しい時間に親が毎朝、学校に電話をしていたのも知っています。私自身も学校に行ける気がしなかったので、行く選択肢をなくしたほうがきちんと回り道ができる。そう思い、親に『中学は3年間行かないから、諦めてほしい』と言いました

 親に自分の思いを吐き出した近藤さんは、その後初めて本当は「ごめんね」と言ってほしくなかったことを親に伝えることができたそうです。

 次回は、高校進学から留学に向けた勉強体験、仕事に就くまでについて聞いていきます。

取材・文/小山まゆみ、福本千秋(日経DUAL編集部) イメージ写真/PIXTA