親に言ってほしくなかった「ごめんね」という言葉

 近藤さんがその当時、親に言われてつらかった言葉があるといいます。それは、母親が帰宅したときに言う『今日も家で一人で待たせてしまって、ごめんね』という言葉でした。

 「親に『ごめんね』と言われると、学校で嫌なことがあっても口に出せなくなりました。それを言ったら『ごめんね』と思っている親に、さらなる負荷をかけてしまうと思ったからです。なので、その頃の私は『今日はクラスでこんなことがあったんだよ』というささいなことが言えなかったです。迷ったり、傷ついたりしたことがあっても自分の中に封印していました」

 1学期の間は五月雨登校していた近藤さんも2学期からは登校できるようになりました。小学校5年生の2学期の中頃には両親の仕事の都合で隣の市へ転校します。

 新しい学校にはすんなりなじんだものの、6年生になるといじめが始まりました。そして、冒頭で紹介したように、2学期が近づいた夏休みの後半から、体に不調をきたすようになります。

 大人になった近藤さんが当時を振り返って思うのは、「いじめは確かにきっかけだったけれど、一人で家にいるさみしさも重なったのかな」ということです。

 近藤さんには5歳年下の弟がいます。弟は引っ越す前に住んでいた隣の市の幼稚園に通っていたため、母親は仕事を終えると弟を迎えに行ってから帰宅します。そのため、家に帰る時間がどうしても遅くなり、近藤さんが一人でいる時間は引っ越し前よりも長くなっていたのです。

 「近くの保育園に転園させることはないのかな…。でも、弟も環境が変わったら大変だろうし…」。心の中で思うことはあっても、「ごめんね」と言われてしまうと、遠くまで弟を迎えに行く母親の大変さを思いやって、言葉を飲み込んでしまっていたそうです。

 「言いたいことを言わなかったことで、爆発により近づいたのが小6のときだったのだと思います

 近藤さんは当時の気持ちをそう分析します。

 「親に甘えたい気持ちがあっても、先に謝られると、子どもは何も言えなくなってしまいます。親は悪いことをしているわけではないのだから、『ごめんね』と謝ってほしくなかったというのが本音でした。親が仕事に誇りを持って働いていること、そして私たちのために働いていることは、子どもながらにわかっているつもりでした。だからこそ親には胸を張って、自分たちの生き方を貫いてほしかった。『ごめんね』という言葉は周りの家と比べるから出てくるものですが、家族のあり方には正解も不正解もないと思っています。だから、『ごめんね』という言葉は必要なかったんです