不登校の子どもは小学校では約2万8000人、中学校では約10万人(平成27年度、文部科学省が発表)。合わせて3万人以上に上ります。子どもが不登校になると共働き家庭の親にとっていちばんの悩みどころになるのが、日中の子どもの居場所です。子どもを家に一人で置いて、仕事へ行くのは、とても不安なことです。シッターを頼んだり、祖父母に預ける家庭もあるようですが、学校以外で子どもの行くところには、どんな場所があるのか気になっている人も多いのでは? 勉強の遅れやコミュニケーションが不足するのではということも心配でしょう。そんなとき、居場所の候補になるのが、不登校児童・生徒のために設立されているフリースクールです。しかし、フリースクールといっても具体的にどんなところなのか知っている親は少ないのではないでしょうか。そこで、この連載では、増えている小学生の不登校児にどのような居場所があるのか、どんな相談先があるのかをリポートしていきます。今回は日本のフリースクールのパイオニア的存在でもある「東京シューレ」の創設者、奥地圭子さんに創立時からのお話を聞いてきました。成り立ちやいわゆる“学校”との違い、子どもたちの様子について、上下2本の記事でリポートします。

開設当初の33年前、不登校への社会の目は今よりずっと厳しかった

「わが子の不登校から深く学びました」と奥地圭子先生
「わが子の不登校から深く学びました」と奥地圭子先生

 東京シューレを開設するきっかけになったのは、1984年に発足した「登校拒否を考える会」の活動です。実は私の子どもも小学校5年生のときに不登校(当時は一般的に登校拒否と呼ばれていた)になりました。その経験から親の学び合い、支え合いの必要性を感じた私は、同じように不登校の子どもを持つ親たちに呼びかけて「登校拒否を考える会」を立ち上げたのです。

 その活動を通じて、不登校に対する理解が親の中で深まっていくと、子どもたちは次第に笑顔を取り戻しました。やがて彼らからは「やっぱり友達が欲しい」「家にいるのは退屈だから行くところが欲しい」といった声が上がるようになりました。でも、それは学校に戻るということではありませんでした。

 その頃、私は読者の皆さんと同じ共働きの親で、公立小学校の教諭として働いていました。でも、なんとかして、子どもたちの願いに応えてやれないものか……。そして決心しました。22年の教員生活にピリオドを打ったのです。今から33年前の1985年3月のことです。そして、6月に学校外の子どもの居場所、学び、交流の場として誕生したのがフリースクール「東京シューレ」です。

 立ち上げた当時は、東京シューレのような居場所はほかにありませんでした。社会全体の不登校への理解が今よりもはるかに乏しく、学校に行かない子は問題のある子と認識された時代です。

 周囲の理解を得るのは非常に困難でした。開設早々のころ、教育委員会の方が「何をやっているのだ」と言って、私たちのところへすっ飛んできました。

 学校の校長先生やPTAから苦情のような電話をもらったこともあります。校長先生からは「東京シューレに行けるなら、学校にだって行けるはず。なぜ学校に寄こさないのか」と言われました。

 ある学校のPTAの方は、「子どもは自由にできるほうがいいに決まっているから、そちらに行くんです。そんなことは許されません。これから迎えに行きます」。そう言いました。本人にも保護者にも了承を得たわけでもないのにです。東京シューレに電車で来る子どもが、駅で補導されたこともあります。

 そのようなやりとりをする中で、よく言い合いもしました。東京シューレが生まれた1985年頃は、まだ、そういう時代だったのです。