1年半にわたる不登校を経験した浅見直輝さんの体験とこれからを聞くインタビュー。上編では学校に行く僕でも、行かない僕でもなく、 “僕そのもの”に向き合ってくれた相談員のSさんと、母の言葉によって、生きる力を取り戻した過去を聞きました。下編は、不登校時代や高校・大学時代に得た経験をもとにした、オルタナティブ教育の取材への挑戦とその思いについてお伝えします。

(上) 元不登校の青年 親に言えなかった学校での出来事
(下) 浅見直輝 学校以外の居場所探す子の力になりたい  ←今回はココ

子どもの特性に合わせた学びの選択肢が少ない日本

 中学時代、1年半の不登校によって内申点や成績はかなり低く、選べる高校の選択肢も少なかったという浅見さんは「興味を持てる部活」を進学先選びの基準にして高校へ進学。キャラを変えるために髪形をモヒカンにして悪ぶったこともあったそうですが、高校は休むことなく3年間通い続け、中学時代に不登校だったことがクラスメートたちにバレないよう、あえて活発で明るい生徒になろうとしていたそうです。

 そして、中学時代に不登校で悩んでいた自分や家族を支えてくれた祖父を、ありがとうも伝えずに高校2年の冬に亡くしたことを機に、大学進学を決意。「おじいちゃんが支えてくれたから今の自分がいる。おじいちゃんが支えてくれたから、何かを頑張れる自分がいる」という思い、家族へのありがとうの気持ちをもとに偏差値43から猛勉強を重ね、早稲田大学に合格します。

 大学では中学時代や高校時代に自分と同じように孤独を感じていた学生たちに出会い、人それぞれ多種多様な過去があることに気付かされたといいます。そして「自分たちの苦しかった経験や、当時感じていた気持ちがあるからこそ、何かできるのではないか」という思いから、仲間と共に『十人十輝(じゅうにんといろ)』というチームを結成し、学校に居場所のない子やその親御さんを支えるような活動を始めました。チーム名には、「十人いれば、十通りの輝きがあるよね」という思いが込められています。

 「メンバーの中には学校に通わない選択をした人もいれば、専門学校という道、定時制高校という道、大学という道を選択した人もいて、生き方も進み方もそれぞれ。彼らの話を聞き、その人生の多様さを知れば知るほど、“不登校”の“不”というレッテルは、必要ないのではないかと感じるようになりました」