これまで多くの子どもたちや企業の社員、サッカー選手などに「言語技術」を教えてきた、つくば言語技術教育研究所の三森ゆりかさん。日本人の話す力、書く力、読む力などが諸外国に比べて劣っていることを指摘し、「日本の国語の授業では、社会に出てから使える本当の言語力は身に付かない」と警鐘を鳴らします。三森さんの言葉を紹介する連載、今回のテーマは「欧米と日本の母語教育の違い」です。

言語技術は「ある目的のために言語を効果的に使いこなす技術」

 日本にいつから言語技術という概念があるのか、私は正確には知りません。しかし、父の書棚にあった『日本人の言語生活』(大月書店、昭和30年発行)の中に、言語技術についての記述がありました。国立国語研究所の平井昌夫氏が「言語技術のプリンシプルとタイプ」という章の中でアメリカの言語技術を紹介したものでした。

 ここでは、言語技術は「ある目的のために言語を効果的に使いこなす技術」として紹介されています。興味深いのは、言語技術は「浅薄な口先の器用さに過ぎないといやしめるのはまちがいであり、言語生活を高めるうえにぜひとも必要なもの」との解説がある点です。これは、言葉を効果的に操るための技術が、この時代に受け入れられていなかったことを意味します。ところがそれから60年以上経った現在でも、その扱いはあまり変わっていません。

 現在の国語の教科書には、確かに言語技術が部分的には入っています。しかし、カリキュラムが構築されていないため、それぞれのつながりに一貫性がありません。ある学年に言語技術の一部分が登場し、学年が上がるとまた別の部分が出てくるという調子です。これでは言語技術が複雑に枝を張り巡らし、一本の太い木のように育つことはできません。私が知っている限り、言語技術を教える活動を始めて以来30年以上変わらないままです。

読書離れはどの国も同じだが、比較するレベルが違う

 最近はよく「若者の読書離れ」が問題視されていますが、それはどの国も同じです。でも、アメリカやドイツなどの国々と日本とではその意味が異なります。欧米の子どもは「Language Arts(ランゲージ・アーツ)」を身に付けながら年間で最低5冊程度の本を丸ごと読み、議論をして、作文を書きます。一方で、日本の子どもは授業の中ですら一冊も本を読みません。そもそも比較するレベルが違います。