ドイツの国語の授業についていけなかった中高時代

 実は、言語技術を教え始めたのも自分自身の実体験がきっかけです。私は中学校2年生から高校3年生まで西ドイツで暮らしていたのですが、ドイツ語の授業に全くついていけませんでした。父が新聞記者をしていて、私も国語が得意だったはずなのに、日本で学んだことが一切通用しなかったんです。ドイツ語の授業ではとにかく大量に本を読まされ、それについて議論し、記述をさせられました。

 その中で感じたのは、「なぜドイツ語を話すことができても授業についていけないのか?」ということでした。

 通っていた学校は外国人の受け入れ指定校だったので、世界中の子どもたちが集まっていました。他の欧米系の言語を話す子たちは、ドイツ語が話せるようになると発言できるようになるし、記述でもいい点数を取れるようになりました。でも、私を含め、なぜかアジア系の子どもだけはドイツ語の授業についていけなかったのです。

 当時は「Language Arts(ランゲージ・アーツ)」のことを知らなかったため、その理由には気付けませんでした。なぜ授業についていけないか、親にも教師にも分からない。今振り返ると、教師も自分たちと同じような方法で、日本人が母語教育を受けていると思っていたのでしょう。だから、本の読み方一つ、作文の書き方一つ教わっていない国があるなんて考えもしなかったのだと思われます。未開の国ならまだしも、日本のような経済大国がまともな母語教育をしていないなど彼らは想像もしない。だから、「なぜアジア系の子どもだけができないのか?」と教師たちも悩んでいたと思います。

 日本の言語教育に何かが足りない、と気がついたのは帰国してからです。

 私は高校3年生の途中で日本へ帰国したのですが、なぜか国語の成績ですぐに「5」(最高評価)が取れました。4年間も国語の授業を受けていないのに、テストの点数はトップクラスだったし、通知表が「5」だった。受験の国語もうまくいきました。それで、日本の国語はおかしいとぼんやりと感じました。

 結局、日本の国語の教育は積み上げではないのです。その証拠に数学はついていけず、4年間を取り戻すために必死で勉強しましたから。数学は積み上げが大事だからついていけなかったのです。でも、学生時代はまだその原因が何なのかがはっきりしませんでした。

 そのことがはっきり分かったのは、就職して商社に勤めてからです。取引先は東ドイツだったのですが、私は交渉の議事録を翻訳しながら「東ドイツの人たちも、(私が住んでいた)西ドイツの人たちと同じ能力を身に付けているんだ」と気がついたのです。その交渉の場で日本の国語が役に立たないことも分かりました。

 東ドイツとの交渉で、日本の企業はことごとく勝てませんでした。交渉相手を説得する言葉や文章が出てこない。勝てない原因は相手が社会主義国家だったからではなく、それ以前のベースのところで言語の組み立て方や書き方に違いがあったからなのです。そこから「西ドイツで4年間受けていたドイツ語の授業に何かヒントがあるのではないか?」と思いついたのが、今の仕事に行き着いたきっかけです。