例えば、子どもがずっとテレビを見ていて、そろそろうまく消させたい場合。代替の何かが必要というときに「こないだ集めたあれ、見ようよ」という誘い方もできるようになります。石を集めて数えるのが好きだったな、と分かれば、例えば「豆を洗って」というお手伝いをさせたい場合も、「こないだの石みたいに、まず豆を数えてみようよ、それから洗おう」などの誘い方も可能になります。

 自然を相手に遊ぶメリットはたくさんありますが、親が制限を与えて怒るシーンが少ないのもよい点です。ゲームのコントローラーや変身ベルトを投げたら親は怒ると思いますが、石や花は食べない限り、親も好きにさせますよね。親からの制限が少ない分、子どもが自由に伸び伸びと遊ぶことができます。

大人は知らないうちに「評価社会」で生きている

 大人は評価社会に生きているので、無意識のうちに評価社会に染まってしまっています。「できる」か「できない」か、「正解」か「不正解」かのように何事もどちらかに決めてしまいたくなります。でもそれはあくまでも大人の論理。子ども時代は、何かを決めずに、広げてあげる時期だと思います。

 とはいえ、子どもを自由に放置しておくだけでは、子どもの選択の幅は狭まってしまいます。「パパが指導者になる」と「パパはスマホを見てほとんど放置」の間ぐらいがちょうどいい感じ。子どものやりたいことを基本にしながら、一緒に遊びの内容を広げてあげるイメージでいるといいのかなと思いますね。選択の幅を広げ、「まだ見ぬ出会い」の手助けをしてあげるのが親の役目だと思います。

 そのためには、パパも「いたずらモード」になる。モードを切り替えて子ども目線になりましょう。切り替えは意外と難しいので、日常の延長にならないように、工夫するのがおすすめ。例えば公園までの行き方。公園で遊ぶ時間を少しでも長く取るために、いつもなら自転車でビューっと飛ばすところをあえて歩いてのんびり行ってみる。物理的にスピードが遅くなるので、パパ自身のモードを切り替えやすいです。いつも車なら自転車にする、のもよいと思います。「これから2時間はモードを切り替えて遊ぶ」と決めたら、徹底的に遊びます。すると、子どもの満足値も上がるはずです。

 もしパパがどうしても子どもにやってほしい遊びがあるなら、いたずら心を持って、何か仕掛けるといいと思います。強制力は「なし」で、やるかやらないかは子ども次第。あるいは、「これ1回だけやって」と本気で一生懸命お願いしたら、やってくれるかもしれせんよ。