子どもの「ヤダ」をひも解いてみる

 本当は、子どもがやりたいことを満足いくまでやらせてあげたほうが子どもは楽しいはず。子ども自身がしっかり楽しめて、満足できたら、「また行きたいね」となります。「公園はヤダ」という子どもに理由を詳しく聞いてみると「パパと一緒だとやりたいことをさせてくれないからヤダ」ということもあります。

 子どもは語彙が少ないから「ヤダ」で終わっていますが、ひも解いてみると、親が想像できない理由で言っている場合もあります。親が「こういうものだろう」と思い込んでいることが、意外と違うことは多いのです。うちにも娘がいますが、例えば、娘はスーパーで買い物をするのが好きではありませんでした。「長い時間かかるからヤダ」なのかと私は思っていたのですが、「ヤダ」の理由を一つずつ聞いてみると、「お母さん(私の妻)は自分で好きなものをカゴにどんどん入れているのに、私が『買って』と言うと『ダメ』と言われるのがヤダ」だったんです。

都会の公園に落ちている石ころだって自然の一部

 パパのほうが子どもと接している時間が短いという家庭は多いかもしれません。その場合、子どもの本質を理解できていないまま子どもと接しているケースもあると思います。「こんな遊びをすれば喜ぶだろう」とパパがやらせたいことを考えても、「それはやりたくない」ということも往々にしてあります。だからといって「じゃあ、いったい何がやりたいんだ!」と問い詰めるのはNG。まずは自分の子どもに興味を持ち、子どもを観察することから始めるといいと思います。

 子どもを観察すると、子どもの本質が見えてくるので普段のアプローチも変わってきます。そういう意味でも自然と触れ合って遊ぶのはおすすめです。自然といっても、わざわざ遠出して大自然に囲まれる必要はありません。都会の公園に落ちている石ころだって自然の一部です。

「わが子の本質を知る」ためにも自然遊びは有効

 自然が相手だと、遊び方は自由で無限です。テレビゲームのコントローラーや変身ベルトの遊び方は限られていますが、石や花は発想次第で様々な遊び方ができます。だからこそ、テレビゲームや変身ベルトで遊んでいるときは見えない、子どもの本質的な部分を見ることができます。

 何かを集めるのが好きな子どもは多いです。座り込んで子どもが石を集め出したら、一緒に楽しんでみましょう。「この石は何?」と子どもに聞いてみたら「宝石なの」と言うかもしれません。「一緒に集めていい?」とパパも集め出したら、パパが拾った石を見て「それは違うんだよ」と言うかもしれません。「この石とこの石、何が違うの?」と聞いてみたら何か話が聞ける可能性もあります。子どもの姿がだんだん見えてくるからとても面白いですよ。

 子どもの興味が分かれば、日常的なアプローチも変わってきます。

自然を相手にすると遊び方は無限。葉や草はお皿になったり、食材になったり、ボートになったりする
自然を相手にすると遊び方は無限。葉や草はお皿になったり、食材になったり、ボートになったりする